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〈火曜日に更新〉文責:入江玄

シナリオを変えてはいけない? 『ラヂオの時間』から学ぶシナリオ術?

 シナリオライターの方への質問でよくみるのが「筋を変えられたことはありますか?」だ。それに対する答えの多くは「ありますけど、変えてもらっていいんですよ」というもの。
 どうしてそんな質問が生まれるのか。それはこの映画の影響ではないかと邪推してしまう。
 さらに、今年の大河ドラマ三谷幸喜氏の『鎌倉殿の13人』だ。そこで三谷作品初期の傑作『ラヂオの時間』を分析する。

 

※ネタバレがあります ※参考資料は文末

あらすじ

 ラジオドラマの生放送を控えてリハーサル。シナリオライターで主婦の鈴木みやこは緊張しながらプロの仕事を見学していた。だがそんなとき、主演女優からキャラクターの名前を変えたいといわれてしまう。大人の事情で変更となり、そこから話はややこしくなる。
 他の名前も変えなくてはならなくなったり、設定していた場所が変わったり、キャラクターの職業まで変わってゆく。
 そして本番、放送が始まってしまう。だが、効果音が手に入らない。そればかりか、ストーリーに無理がでてくる。急なアイディアで乗り越えるのだが、スポンサーを怒らせてしまう事態に。焦った製作スタッフたちは、結末を変えてしまおうとする。
 結末の変更を許せない鈴木みやこは、スタジオに鍵をかけ籠城する。要求はただ一つ、結末を変えないでくれ、と。
 だがプロデューサーは要求を飲めないという。が、ディレクターや役者たちが動き出す。こっそり他のスタジオからつないでハッピーエンドにもっていこうと奮闘する。(*1)

ごちゃまぜ

 とにかく、この物語は「ごちゃまぜ」だ。
 単純に豪華で濃いキャラクターが複数でている。わかりやすいストーリーなのに、どうなっているのか見えにくい。
 さらに内容も、前に起きた不具合が不可逆的に連動する。しかも生放送をしているという緊張感もある。否応なく引き込まれてしまう。
 何にしても邦画でこんなタイプの作品を観たことがない。
 さらに、知らないラジオドラマの舞台裏に迫っており、社会見学のようで楽しい。(きっと、こんな現場はないけど)

三谷幸喜の祖母の感想

 『ラヂオの時間』の後に作られた『みんなのいえ』のパンフレットに嘘か真かこんな記述がある。

「『ラヂオの時間』を観た後の僕の82歳になる祖母の、『全体に活気はあったけど、さっぱり意味が分からなかった』という控えめな苦言~」(*3)

 実は、低評価をする人も一定数いる。意味が分からないだけでなく、自分勝手な登場人物たちを不快に感じてしまうらしい。映画とはいえ、イライラしてしまうのかもしれない。

先入観

 映画とはこういうもの、という先入観が邪魔をしたのではないか。邦画は情緒豊かで、じっとりしたもの。というイメージがあったのかもしれない。
 本作はハイテンポで無駄なシーンもない(プロデューサーとアシスタントの恋愛はいらなかった気もする)。
 「三谷幸喜」という、もはやジャンルが確立してしまった。今更いうことでもないが、当時の異物感はなかったろう。

「真っ先に決めた目標は『アメリカ映画のような日本映画を作ること』でした」(*2)

 目指しているのは、実はこういうことなのだ。最近は時代劇のイメージも強くなった。だが、脚本三谷幸喜と書かれるだけで笑ってしまう。見やすいのだろうというイメージがある。それは、目標の根本がアメリカ映画にあるからではないだろうか。

 


【参考資料】
*1;脚本と監督 三谷幸喜ラヂオの時間』1997、出演 唐沢寿明, 鈴木京香, 西村雅彦、アマゾンプライムビデオ
*2;パンフレット『ラヂオの時間東宝(株)出版・商品事業室、1997
*3;パンフレット『みんなのいえ東宝(株)出版・商品事業室、2001