G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

「高天原探題」のレビュー[前編]

 本の裏表紙には「比類なき独創性を放つ闘いと純愛の伝奇SF」とあります。読書した後だと「その通り!」なんですが、なんのこっちゃですよね。
 「独創的」な話なんですが、どこがで聞いた物語のミックス? アレンジ? ただ、この盛り合わせ方は、初体験の鳥肌ものです。

 

高天原探題 (ハヤカワ文庫JA)

高天原探題 (ハヤカワ文庫JA)

 

 言葉のチョイスが絶妙

 現代の関西を舞台にした活劇なんですが、「探題」や「執権」に「連署」なんて言葉を使い、鎌倉時代か? と(現代です!)。

 しかも、ポイントになるのは「墳墓」だったり、「銅剣」などの出土品を武器として使うシーン。そもそも主人公は発掘の仕事をしており、古墳時代?? 言葉だけなら、本当に現代劇かと。
 そんな言い回しで、JR亀岡駅やショッピングモール(おそらくイオン)やら、京都府警もでてくる。それがただの警官ではなく、唐紅(からくれない)の出動服をきた討伐隊の隊員で、特殊鉄棒に通信用のヘッドセットなどを装備してる。
 そのバランス感覚が絶妙で、とにかく、カッコいい。

「玄主の可能性は消えた。仕置きの対象はシノバズ。シノバズはフロア三階。階段を使え。先鋒は鈴木。次鋒は山本。中堅・副将・大将は序列どおり。増援の被官はこないと思え。カメラが現場に到着し次第、仕置き開始。以後、命令は絶対。徹して犬となれ!」

(三島浩司『高天原探題』ハヤカワ文庫、2013 p.11)

どうしてカッコいいの?

 大筋はレンジャーものにありそうな話(オーディオドラマの主人公は「魔法戦隊マジレンジャー」の橋本淳さん)で、どこかで一度は体験済みのストーリーをミックスしたもの。でも、その調合が小気味よいんです。
 ポイントは、分からない言葉とわかる言葉の比率にある(気がします)。上記のセリフだと、全部で116文字。すぐにわからない言葉が12文字。説明し難いがわかる言葉が10文字ほど。

 わかりにくい気もするのですが、全体の8割近くは理解できます。するとどうなるか。これがですね、音にしたとき、めっちゃくちゃカッコイイ! 
 黙読してもしびれます。ですが、耳馴染みがないため、音にするとカタカナと同程度の効果があるんです。例えば「都牟刈(ツムカリ)銅剣」、「ツムカリ」と音にしても効果は似てます。ですから、オーディオドラマむきなのではないかと。

文章の黄金比からは規格外!

 「漢字2:ひらがな7:カタカナ1」新聞や雑誌など、活字で書かれるものは、この割合を意識しているらしいんです。諸説あるらしいのですが、7割方を平仮名にするのが一般的な文章として読みやすいらしい。
 本文の漢字とカタカナのバランスを数えると…。漢字表記は54文字。カタカナ表記は14文字。驚くべきことに、文章の半分以上が漢字とカタカナなのです。
(もちろん、痺れるセリフに限定的な書き方で、本文全体は規格に近い。)

×オーディオドラマ

 NHK FM青春アドベンチャー」2019年3月11日(月)~3月22日(金) 午後9時15分~午後9時30分に10回に分けて放送されました。(以下その放送回より引用)
 これもまた、最高なんです。(わたしのなかでは2019年度最高傑作!)
 そこでオーディオドラマと小説の、全身が鳥肌になってしまう興奮シーンを比較してみます。(オーディオドラマは第5回、小説は中ほど)

 

オーディオドラマ

主人公とヒロインがふれあうシーンがあり、元職員と話し、少しの謎が解かれる。クスコロという変わり者が追加の説明をしてくれる。じっくりとナレーションで、戦いが始まることを知らせてくれる。盛り上がってくる音楽。
そして、
非常ベルが鳴り響く!

「緊急、緊急。場所は京都、清水寺。すでに山門付近には多数の参拝者が取り残されている模様。仕置きの対象はゲンシュ。シノバズではない。一年以上行方不明だった八号ゲンシュと思われる。繰り返す、仕置きの対象は自我を喪失した八号ゲンシュ」

 

小説ではこのシーン、ツムカリのトレーラーが現場の駐車場に到着したところから始まり、この台詞はないんです! 小説はだからこそ男前に仕上がってます。

こんなにちがう!

オーディオドラマ

手を伸ばしあい、二人の手と手がやっと結ばれる
清美「あの、えっと寺沢さん?」
俊樹「俊樹、俊樹でいいよ。僕も清美って呼ぶから」
清美「俊樹、俊樹」
俊樹「ぼくたち友達になろうよ」
清美「え?」
俊樹「どうしたの?」
清美「俊樹は、クスコロさんとちがうよね」

 

小説

「ふたりの右手が小さな空間で結びあった。
『握手は対等なしるしだよ。清美とオレはこれで対等な人間だ。オレのこと、俊樹ってよんだらいいよ』
『……俊樹』
清美はうれしそうに前歯をのぞかせた。
『友達になろうか』」

(三島浩司『高天原探題』ハヤカワ文庫、2013 p.168)

さわらぬ神にたたりなし

 この物語に特殊なのは、その攻撃方法にあります。動機を殺されるため、そもそも存在を感知できないんです。
 感情を持たない相手はみえないし、見ようともしない。バスコルは「感情」なのでしょうか、それとも「神」…。
 そこに主人公とヒロインの届かない手を伸ばすシーンがでてきます。お互いの手に触れようとする。
 恋愛ものとして読むと、すでに成立したカップルであり、告白のドキドキがなくて物足りないと感じる人もいるかも。
 ですが読んでみると、ヒロインはカップル成立した後で深く悩んでいるのが痛いほど伝わります。だって彼女、化け物として扱われてるんすよ。ラストシーンまで二人の愛の形は特殊で、これはネタバレになってしまうので書きませんが、アクションとラブシーンが混じった不思議な感動に包まれること間違いなしです。

“それ”は人の「動機」を殺す

「人から動機をうばえるものとはなんだろう。それは印象なのではないかと清美は思っていた。とある印象をあたえ、人をその場に立ちつくさせる。とある印象をあたえ、人に呼吸すら忘れさせる。その印象を刺激として処理できる器官が人の頭のなかにあるのだろうか。きっとあるにちがいない。太古の時代にはまだ機能していた、いまは深層に眠る器官が。」

(三島浩司『高天原探題』ハヤカワ文庫、2013 p.97)

 

 

 後半は、2月15日に更新します!