G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

菊池寛「恩讐の彼方に」のレビュー

 

 突然ですが、外出自粛中にパチンコ店に行く人、どう思いますか?

 許せないと思った方、「自粛警察」や「コロナ自警団」をご存知ですか。県外の車や、営業を続ける店に嫌がらせをするんだとか。

 様々な意見があると思います。本当の心情はどうなんでしょう。どうして、わざわざそんなことするんでしょう。パチンコに行く人も、警察ごっこをする人も、家で静かに映画でも見ていればいいのに、どうして?

 他人は変えられないし、放置しておくのがベストと思ってるアナタ。いがみ合う人と和解する問題点と、解決策まで提示してくれる作品があるんです。物語のなかに解決策があるんですよ、すごくないですか。

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ストーリー

 物語は、江戸時代後期。市九郎は主人の女に惚れて手をだし、バレて、手討ちにされそうになるところから話は始まります。なんと市九郎は、とっさに反撃! 主人を殺してしまいます。
 夢中で逃げた二人はまともな仕事もせず、人斬り強盗に。そんな暮らしを三年も続けたある日、若い夫婦を斬り殺し、ふと我に返り、出家します。それもただの出家ではなく、猛烈に実地で修行します。それは、鎖渡しの事故を無くすため、隣にトンネルを掘るというものでした。
 苦節18年。途中、人からバカにされながらも、市九郎は諦めません。18年は長いっすよ。手伝いに来てくれたものもいなくなったり、ずっと散々な目にあいます。
 18年目、やっと石工たちが合力、完成間近のある日。市九郎がかつて殺した主人の息子が成長して会いにきます。刀をもって。
 彼は免許皆伝の剣豪となり、かたき討ちのため諸国を歩き回っていました。そしてついに、市九郎をみつけた訳なんです。

 

※「恩讐の彼方に」は様々な形で、オーディオブック化されています。たまにラジオでアンコール放送されることも?!

 

主人公が連続殺人犯

 エンタメ作品なので、冒頭からスリリングな展開が用意されています。ですが、問題は、そのメインとなるのが、殺人者の視線と、殺人予備軍の視線なんです。
 警察組織の姿もなく、まともな公的機関は動いてくれません(江戸時代の話)。

 冷静な連続殺人者といえばレクター博士(「羊たちの沈黙」)を思い出しますが、印象としては全く別人で、ジェイク・ギレンホールの印象に近い(とくに「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」っぽい)です。
 市九郎は落ち着いていて、丁寧なものいいをする青年であるのに、仕事で連続殺人をしている。殺人をしながらも、気風が荒れることもなく、つねに平常心をたもっている。生い立ちの妙が感じられます。

 

わたしはどこまで本人か?

 無論、殺人を肯定した作品ではありません。エンタメのために使っているのでもない。
 自分を制御できない。それどころか、そもそも、制御するべき自分がわからない、という問題です。
 自分の内実とは、その場の暮らしや、生活環境、受けてきた教育、などに影響された不定形のものでしょう。選択は本当に自分でしたか? したとして、選択をした本当の自分とはなにか?
 玉ねぎの皮を剥いていけば、同じような玉ねぎがあるだけで、芯が出てこない状態と似ています。

 敵役は主人公自身の暗部、というのはよくある構成ですが、そうはしません。メンタルが似ている二人として描かれています。

 本ブログ冒頭の、パチンコ店にいく人と、自警団をやってしまう人、どちらも似るんじゃない? というのが私の結論です。
 とくに、音のドラマとして聞いたとき、洞窟の中で親の仇と対面するシーンは、想像できてしまうだけでなく、刀の重さも、ぐっとくるんです。そこで思うんです、同じ二人だなと。

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で、解決策は?

 二人とも、その芯もないくせに勝手に苦しんで、人を殺めようとまでします。平均的なパターンの暮らしができない。ドロップアウトして、人とは異なる人生を歩むことになった二人(自分でそう思い込んでいるだけ)。自分の中にある常識と向き合うことになってしまう。


 解決策は、同じ課題に取り組むべし、です。この作品では、トンネル工事を手伝うことで和解につながります。

 

心が変わるときは、どんなときか?

 作中で大きく変わるきっかけは2回あります。
一つ目、妻に死体から剥ぎ取るよういわれ、イヤになったとき
二つ目、懸命に掘る後ろ姿をみたとき

 一つ目。市九郎は、女のためにいきて、女のために殺人者になりますが、その愛する妻がクソみたいなメンタルをもっていることを突きつけられて変化します。真実を知ったわけです。
 平均の生活なんてそもそもない。という真実で、人は変わるかもしれません。

 二つ目は、かたき討ちをしたい息子の変化です。突き抜けた存在に憧れますが、人は、みんなと一緒が好きです(とくに日本人)。
 ですから、親の仇はとっておきたい。顔も覚えていない父親のですよ。本心で殺したいほど憎めるでしょうか。
 時代も価値観も違うでしょうから、なんともいえませんが、疑問です。

 話をもどします。新型コロナウイルスを撲滅するために、本気で県外の車に悪戯してるんですか? 本気で自警団をやろうなんて思っているでしょうか。あと、本気でパチンコっすか?

 

俺が正しい?!

 するべきことがハッキリしている場合、正しいと盲信してやってしまっているだけなんじゃないの?
 市九郎は、親の仇だと名乗られ、素直に首を差し出します。石工たちに止められ、トンネル工事が終わってから殺すことにして、いやいやですが工事を一緒にやります。この段階では早くかたき討ちをしてしまいたいから手伝うわけです。
 ですが、苦労して開通させると、話は変わってきます。
 この話はもちろんフィクションです。ですがいま読むと、ヒントどころか解決策があるので「自己啓発書」としても使えるかもしれませんね。