ヒッチコック映画の真髄『汚名』をオーディオドラマ化するなら?
※ネタバレがあります。ご注意ください。
ストーリー
父がスパイの罪で捕まった、警察や記者に追われる娘のアリシア。彼女は内輪のパーティで出会った男デブリンを気に入りドライブするが、実は政府の情報部員(FBI?)だった。極秘捜査に協力してくれという。反発しながらも、惹かれ合うふたり。
そんな二人に仕事の指示がくる。アリシアに好意を寄せるナチス男の愛人になれ、と。デブリンは止めてくれない。アリシアは潜入を決意、ナチス男の豪邸にあるワインが怪しいと伝える。
成果のあがる二人。アリシアはナチス男の求婚にこたえて結婚してしまう。だが、スパイ行為がバレて、毒をもられる。心配したデブリンが訪ねていき、寝込んでいるアリシアを救出する。
ヒッチコック「~単に、公式任務を負ったひとりの女性にたまたま恋をしてしまった男の話であり、その女性は任務の遂行のために他の男と寝て結婚せざるをえなくなるというだけのことなんですよ。~」*
観終わると、不思議な印象の映画です。シーンの数は少なくスッキリしている。込み入ったストーリーもなく、シンプル。こんなことをいってはなんですが、平凡な台詞の連続…。なのに複雑な気持ちがする、感動してるんです。どうして? ヒッチコックは何をしたの?
暴力とは別の部分を描いた作品だから?
この作品は、スパイ映画というより、恋愛映画っぽいです。アリシアの愛に応えてあげればいいのに、任務を優先するデブリンにイライラしてしまう。名家の結婚話みたいな。
いや、わかってますよ。デブリンがやってあげられるのは、ここまでです。上司に「アリシアのことが好きだから」なんて言ってしまえば、異動は間違いナシでしょう。見守るしかない、それが伝わる、だから余計に辛い。
もちろん、アリシアはアリシアで、愛するデブリンに守ってもらえない苛立ちがあります。ここまで捜査に協力するのは、なによりデブリンのためだ。なのに、応えてくれない。
サスペンスフルな、ラブストーリーなんですよね。
アクションのないスパイ映画
「スパイ映画といえば、暴力やアクションがたっぷりあるというのがおきまりだが、そういったものをすべてこの映画では排除することにした。」*
不可能に近いミッションなのに、イーサン・ハント的な人間はどこにも登場しません。画面には想像できちゃうヒロインとオジサンがいるだけ。ですから、敵も用心深く暮らしています。
スパイアクションの設定で人物を配置して、ラブストーリーにした作品ってことでしょうか。この程度で「こりゃ、名作だぜ」などと感動するでしょうか。複雑に絡み合っている印象を受けるのはどうして?
描いていないから!?
二人の恋のゆくえは、いったいどうなるのか。明確に示していません。ラストシーンの後、結婚したかもしれないし、お別れしたかもしれない。結婚するかもね、しそうだよね、で終わる。
ナチス男にしても、仲間に殺されるかもしれないし、今回だけは助かるかもしれない。消されそうだね、で終わる。演歌の小節みたいなものでしょうか。
すべてを描いていないからこそ、想像の余地がうまれる。これってまさにオーディオドラマの特技では? それとも、あのワインのせい? ワインがヤバい!
マクガフィンのせい??
見逃せないのは、マクガフィンの存在です。(本作ではワインの瓶につめられたウラニウム)
マクガフィンとはなにか。ヒッチコック本人の説明を引用します。
「~マクガフィンというのは単にサスペンスのきっかけであり手口であって、すべてを単純にドラマチックにするための一種の口実であり仕掛けなんだ~」*
ストーリーとは関係なく、ドラマチックにするための仕掛けだという。どうしてウラニウムなのだとプロデューサーに文句をいわれた。監督は、
「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」*
と言ったらしい。それらしければ、なんでもいいのだ。演歌でいうなら、なんでしょう。着物の柄とかでしょうかね(なぜか演歌)。
オーディオドラマでも聞きたい!
設定はスパイでドラマチックにしたうえで、ラブストーリーにする。台詞は平凡に。展開で切ってしまい結論を書かない。なにかマクガフィンをいれておく。これで、ヒッチコックに近づく…のでしょうか。
なんだか、できそうで、できなさそうで…。
*【参考文献】フランソワ・トリュフォー『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社、1981