G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

「ワンダー 君は太陽」をオーディオドラマにするなら

※注意:ネタバレがあります

ワンダー 君は太陽(吹替版)

ワンダー 君は太陽(吹替版)

  • 発売日: 2018/10/10
  • メディア: Prime Video
 

ストーリー

 病気で顔が変形したオギー(10才)は、引きこもっていたが学校へ。友達もできるが、いじめられる。オギーの姉も進級にともない親友を無くし、へこむ。

 仮装して別人になれるハロウィン、オギーが一番好きなイベントだ。だが、友達になったはずのジャックに陰口をいわ落ち込む。二人は、仲直りして文化祭に挑戦する。

構成はパッチワーク?!

 物語の断片がパッチワークのように、モザイク的に重ねられていきます。特徴的なのは、顔が変形した主人公のオギーだけの視点ではない構成です。
 映画は4つの章に分けられてます。1は「オギー」、2は姉の「ビィア」、3はオギーの親友になる「ジャック・ウィル」、4は姉の親友「ミランダ」。(原作はもっと分けられていて多面的!?)
 ですが、あくまでもオギーの話です。オギー以外は、エピソードも1つに絞られます。そのサイドストーリーもオギーに関する話です。多角的に主人公の状況を追体験するつくりなのです。

感動ポルノじゃね?

 「感動ポルノ」という批判もあるかと思いますが、シナリオの構成と、オーディオドラマにした場合を中心に考えてみます。
 これは私の感想ですが、「病気」ではなく、「友情」を描いているのではないか、と。トリーチャーコリンズ症候群で顔が変形しているのは「例」ではないかと思います。
 つまり、「E.T.」と同じ構図ではないでしょうか。(もちろん、トリーチャーコリンズ症候群のことをE.T.だ、なんて言いたいわけではありません)

E.T.」との違い

 主人公の立ち位置が違います。E.T.では宇宙人ではなく、エリオット少年が主役でした。ですが、本作は、E.T.のポジションが主役のオギーです。
 やたら宇宙や「スター・ウォーズ」が出てきますが、ハロウィンに話を盛り上げるあたりにも「E.T.」を感じます。

 ただ、そこまで盛り上がらないのは、イベントのインパクトが小さいからでしょうか。ハロウィンや文化祭が山場になってますが、そもそも、勝ち負けが曖昧です。カタルシスが得られにくいものかもしれません。
 「E.T.」なら、やっと友達になれたのに、離れなくてはならなくなる、でも帰るために協力してあげる、という見せ場があります。
ワンダー 君は太陽」は学校の科学のイベントで賞をとりますが、いじめっ子の失敗はみんなで笑います。

 さらに、キャンプへ行くとき、いじめっ子はいません。いじめが発覚し、停学処分に親が不服を申し立て、転校してしまうからです。校長先生の演技で救われる気もしますが、しっくり来ません。
 このあたりから、感動ポルノっぽいと感じるかもしれません(「少しだけ」ではなく、長々と書いてしまった)。

ノローグが多用されており、オーディオドラマ向きだが…

 「E.T.」っぽいなら、音のドラマは得意分野です。「トリーチャーコリンズ症候群で顔が変形」というのも、脳内イメージですから、名作になる予感がします。
 ただ、主人公の視点だけでなく、深みをもたせる友人の目線がぼやける気が。映画のよさは、視点が入れ替わりにありました。なかなかあそこまで交差する物語を、音だけでやるのは難しそう…。

犬の死の謎

 どうして犬の死を描いたのに、オギーと犬のエピソードを省いたのか。
 劇中では、オギーが涙するのではなく、パパが泣いている背中にオギーの手がそっとのせられます。
 きっとオギーの初めてにしてただ一人の友達だったんじゃないかと思うのですが、死んでもパパほど悲しまない。
 犬と遊び親友感を出せば、泣ける要素は揃ったはずなのに。なぜ父が一番ショックを受けていたのでしょうか?

原作から

 わたしの予想ですが、原作にその答えがあると思うのです。

「オギーのことなんかじゃない! 世の中、あんたを中心にまわってるわけじゃないんだから! とっとと来て。デイジー(犬)の具合が悪いの。ママが救急の動物病院に連れていくから、さよならを言って」お姉ちゃんが大声で言った。

(引用『ワンダー』ほるぷ出版 著者 R・J・パラシオ 訳 中井はるの 2015年 297頁)

 オギーは病気のため、なんでも自分中心に考えてしまいがち。でも、そうじゃない。いろんな人の考えがあることを提示しているのかと。

「その夜、パパが泣いているのをはじめて見た。~(略)~両手のひらで目をおおったので、泣いているんだってわかった。あんなに静かな泣き方があることを、ぼくははじめて知った。ささやいているみたいな泣き声。そばへ行こうとしたけど、声を殺して泣いていおるのは、みんなに知られたくないからかもしれないって気がついた。それで廊下に出て~」

(引用『ワンダー』ほるぷ出版 著者 R・J・パラシオ 訳 中井はるの 2015年 303頁)

 オギーは、パパも悩み苦しみ悲しむことを知ります。ここで大事なのは、オギーの精神が成長している点です。当たり前の事実ですが、オギーにしてみればはじめて気づいたわけです。自分のこと以外で心を動かす家族に。
 オギーが成長した。これを映像にすると、パパの肩にそっと手をおく、になる(のかなぁ)。
 犬の死を描いたのは、きっとオギーが成長するシーンのため。単純に悲しむオギーを描いて、簡単なお涙頂戴をしないため。ではないでしょうか。

朗読しちゃう?

 映像を一旦置いておいて、小説から作り直した方がよさそう。盛り上がる部分を考えて作ると、別物になってしまいそう。これは、オーディオドラマより、複数人で朗読するのが楽しいかもしれませんね。