G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

三浦しをん作品の朗読はつまらない?! 『むかしのはなし』「たどりつくまで」から

 三浦しをんを語るなら直木賞を獲った『まほろ駅前多田便利軒』や、デビュー作、映画化された作品、シリーズ化された作品などに言及すべきですよね。それは専門家に任せます。

 わたしが面白いのは『むかしのはなし』です。三ヶ月後、隕石がぶつかり人類は滅びる世界。そこで何が起きているか。「昔話」が生まれるとしたら? むかしばなし? どうして昔話? 

 直木賞を目前にした作家が悩み抜いた時期のチャレンジングな荒削り感。でもこれを朗読で聴くと、印象が違います。「つまらない」といいますか…。

f:id:irie-gen:20210528060040j:plain

ストーリー

 三幕構成といえばいいのでしょうか。とてもシンプルです。(以下、引用や参考は 三浦しをん『むかしのはなし』幻冬舎文庫、平成20年 より)

 タクシーの運転手さん、閑散とした都心部を流している。この世界では、売上に意味はなくなったらしい。観葉植物に営業日誌がわりの覚書を読み聞かせている。今夜は少し変わったお客だった。

 顔の半分を斜めに隠す形で、白い包帯をぐるぐる巻きにしている。どうやら女性らしい。「ねえ、運転手さん。私いま、このコートの下は裸なのよ」と言われても、大して驚かない。嬉しくないよね、「嬉しいとか嬉しくないとかよりも、どうして裸なのかが気になりますね」と応える運転手。語られる裸の理由。

 アパートに帰り、観葉植物に覚書を読み聞かせる。そして、明かされる運転手の秘密。

※以下ネタバレがあります。

どこが鉢かづき姫?

 物語が始まる手前に「鉢かづき姫」のあらすじが載せられています。で、物語がはじまり、終わりまできて、ん? 物語は面白かったけれど、どう鉢かづき? はっきり言って、朗読ではわかりませんでした。

「大丈夫です。親にとっては、私は死んだも同然だから」

どうしてそんな言い方しかできなかったのか。彼は気まずそうな表情で、私の車から離れていった。

 親との関係を告白する冒頭のシーンです。どうしてこんなことをいうのか。この世界が失くなるからと思ってました。でも、エンディングを読むと違うことがわかります。

ダッシュボードの上に掲げられた、私の乗務員証。そこに記された男の名前を、彼女はたしかに見た。見たうえで、彼女は私を女として扱った。からかいもしなかったし、詮索もしなかった。

 社会から与えられた性、鉢を頭にのせて守っているイメージがでてきます。イメージできたのは朗読ではなく、文庫本で確認したからです。正直わかりにくい…。オーディオブック向きの作家ではない??

朗読と文字の違い

 朗読は、2016年1月16日「NHKラジオ文芸館」與芝由三栄アナウンサーの朗読で聞きました。アナウンサーさんに問題はありません。見事な朗読でした。これはこれで完成された面白い朗読作品だと思います。

 録音をなんども聞いたのですが、文字とは別物なんです。音だけで聞いていると、中程のエピソードは「覚書の内容だ」とつかみにくい。小説を確認するとすぐにわかることですが…。

 徹底的に文章の人、三浦しをん。文字で読まれることを前提に書いておられる。自分で書いたものを音で確認するのではなく、文字を絵のように見て理解されているのではないでしょうか。

「風呂に入り、観葉植物に水をやり、コップ一杯の水割りを飲みながらパソコンに向かって、営業日誌がわりにこの覚え書きをつける。」

 ここにもあるように、文字を書き連ねるのが三浦氏の日常かも??

朗読は動きを聞いている?!

「だれもこれを読みはしない。一眠りしたあと、前の日に起きた出来事を観葉植物に読みか聞かせるための、下書きのようなものだ。」

 そのメモを、読み聞かせてくれるわけだから、朗読でもいける気がしてしまいます。

「私の個人的な記録を糧に、植物は育つ。」

  上記の文章が、段落を変えてポツンと書かれる。文字で見れば、強調されている印象をうけます。ですが、朗読ではぼんやりと響くだけなんです。動きのある主人公の行動やセリフを中心に聞いてしまう。判別が難しいんですね。

 三浦氏の文章は美しい。同じ一行を読み返し、身体の芯が熱くなったような気持ちにさせてくれます。そんな文章は、朗読に向かない、のかもしれません。