高垣葵のラジオドラマ『エウ・ソウ・ジャポネーズ ――私は、日本人』を分析
絶望的なまでの方向オンチだ。ナビの指示通りに走っているつもりが、出鼻でそっちじゃないと再設定されてしまう。
だからかもしれない。旅をする物語、とくにバディものがすきだ。一人旅は観てるだけで不安になる。今回はそんな安心のバディものをご紹介。
ストーリー
リオのカーニバルを観光していた私は「セニョール・アシは日本人に非ず」とガイドから聞かされる。
私(呟く)同じ日本人同士じゃないか。なんて意地の悪い奴だ!!
異国の地で気の毒な同胞を助けようとする私と、見捨てるアシ。だが、アシは私を助けてくれる。軽蔑していたが、お礼をいいにいく。なぜか一緒に旅をすることに。アシの商売を手伝うのだ。
私 人類が死に絶えた後は、こんな荒野が残るにちがいない。エステラーダ・パラナの道――。てんとう虫のように小さな車は、けなげなエンジン音をひびかせて走り続けた。
片田舎まで車を走らせ、路上でたたき売りをする。日本人が多い町は避けようとするアシ。水浴びしたり、友達の家によったり。自然に聞こえてくるサンバのリズム。ご馳走の味。
私 乱暴なポルトガル語が連射砲のように、たえまなく飛び出していく。人だかりはふえ、品物はかなりの売れ行きだった。
アシ(ポ語)『面倒だ。負けてやる。買っていけ。買っていけ』
アシには結婚したい娘がいるが、帰化するのが面倒で後回しにしているらしい。止めるのも聞かず、インチキ臭い賭けに夢中になり、財布を空にしてしまう。
私 セニョール・アシの突飛な行動にも、僕は、さして驚かなくなっていた。車は、ミナス・ジェライスのベロホリヅントに向きを変えていた。
私 すたれかけた、ダイヤモンド鉱山の町。道沿いの細長い町だった。
二人、ホテルのテレビでボクシングを観戦。日本人と、ブラジル人が戦っている。どちらを応援するかでもめる。
アシ おい、なぜ消すんだ。あたしゃ、見てるンだ。
私(頭に来てる)セニョール・アシ。君は日本人のファイティング・原口より、ブラジル人のジェ・オリベラに勝たせたいのか?
アシはどうして日本人を恨んでいるか、なのになぜ国籍を日本のままにしているか、なぞが解ける。(*引用元は全て下に記す)
見事な配置
ラジオで旅を表現するには、どうすればいいか。男二人が車で旅をする。走るのは、ブラジルの地だ。
冒頭。ブラジルの知識はあまりなくても、リオのカーニバルはイメージできる。そこを基軸に、ブラジルに住む日本人の感情を旅の形式で案内してくれる。
車を走らせても、ラジオドラマだから何も見えない。どこを走っているのか、主人公のモノローグに頼るのが一般的だ。それだけでは実感がわかない。
この作品の見事なところはそこだ。行く先々で商売をしたり、食事をしたり、賭けにお金を使ったりする。先々で、感情を動かす声が溢れ出る。
その配置も見事で、パズルのピースがピタリとハマるように一枚の絵になっていく。
「声」のドラマにできること
途中、アシがやる「バナナの叩き売り」は声のドラマとしては最高の設定だった。彼の人となりもよくわかる。
観光名所を訪ね歩くのではなく、名物の裏にある暮らしに目をむけて、その声を拾ってくれるから、汗まで匂うようなイメージがふくらむ。旅をした気分になる。
だからだろう、ブラジル美人との結婚を前に、妙な賭けに興じるアシを止めたくなるのだ。
ボクシングを男二人がテレビで観戦すると、喧嘩になるのもいい。流れがスムーズだ。
そして、アシの噂話を聴くエピローグ。彼の秘密のベールをぬぐのは彼がいなくなってから。それも怪しい評判。だから余計に空想させる。
落ち着いて考えれば、尾ひれがついた話だろう。だけど、主人公はずっとアシのことが引っかかっていたのだ。どうして日本人国籍をもちながら、日本人を憎む? だから、信じてしまう、そんな気にさせる。見事なラジオドラマだ。
高垣葵
高垣葵は、多作のシナリオライター。wikiによると、声優もされていた。週に8本のシナリオを書く生活を10年続けられたんだとか。少なくとも10,000作以上を創作したとか。伝説級の話が載っていた。とにかく、超がつく売れっ子だったらしい。
本作のアイデアの元を文末に書いておられる(*)。ブラジルを一人旅されたときのこと。日本で育ちブラジルに暮らす女性と出会った。彼女は、家の事情でブラジル国籍を得る予定というのだが、困惑していたという。そこでこの作品になったんだとか。
引用 *高垣葵「エウ・ソウ・ジャポネーズ ――私は、日本人」『現代日本ラジオドラマ集成』沖積舎 、1989