映画『ジュラシック・パーク』を分析、『ロスト・ワールド』なの?
『ジュラシック・パーク』の原作者マイクル・クライトン。彼はいかに着想をえたのでしょうか。インタビューが、パンフレットに掲載されています。
〈*参考文献リストは1番下にあります〉
「~わたしは彼が恐竜の世界を描いた『ロストワールド・失われた世界』をいつか私なりのバージョンで書き直したいと思っていました。それが『ジュラシック・パーク』という形になったのです。」(*4)
彼とはコナン・ドイルのことです。元ネタはコナン・ドイル『ロストワールド』だったんですね。
で、映画『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』に原作者マイクル・クライトンは何と言っているか。
パンフレットにインタビューはありません。何があったのかわかりません。ですが、タイトルそのままなのに原作者へのインタビューがない。私なりに書き直したと言っていたタイトルなのに。
ということは、恐竜なみに怖い業界のなにかが働いたんでしょうか。それとも、ただいらないという判断なんでしょうか。
怖がらせる手法
恐竜を蘇らせる映画ですが、怖がらせる手法がオーディオドラマ的です。語りを使って、人の想像力を巧みに利用した上で見せてくるのです。
その気合いを特に感じるシーンは、子ども相手にヴェロキラプトルの怖さを語るグラント博士のシーンです。
上記のシーンを、映画のシナリオと、映画本編、小説の3つを引用して、比較してみたいと思います。
シナリオ(*1 p.23)
少年「あんまし怖そうじゃないね、どっちかって言うと、身長1.8メートルの七面鳥って感じだな。」
~ト書き(略)~
グラント「自分がジュラ紀にいると想像してみたまえ。」
エリーは目を天に向ける。
エリー(ひそひそ声で)「ほおら、始まった。」
グラント(つづき)「森の中の開けた場所へ出たとき、きみは初めて身長1.8メートルの七面鳥に気づいたとしよう。ところがラプトルのほうは、きみがいることなど先刻ご存知だ。やつは鳥のように、頭をひょこひょこさせながら、軽やかに移動する。きみは、じっと動かない。やつの視覚が、動きに依存していると思うからだ。T-レックスのようにね。動かなければ、やつはこっちを見失うって寸法だ。ところがだ、ヴェロキラプトルは違う。きみが見つめると、やつは見つめ返してくる。その瞬間、攻撃がはじまるーー前方からじゃない、そう、横からだ。きみが気づいてもいなかった別の二頭が襲ってくる。」
グラントは少年のまわりをまわる。
グラント「ー引っ込めることもできる15インチの鉤爪。まるで中指から生えた剃刀ってところだ。ライオンみたいに頸動脈に咬みつこうなんてしない。切り裂くんだ、ここ、そしてここー」
少年の胸と腿をさししめす。
グラント「ーあるいは腹を割いて、内臓をあふれ出させるかもな。つまりだ、やつらがきみを食べ始めるころ、きみはまだ息があるってことさ。かかった時間は、およそ四秒だ。」
少年はいまにも泣きだしそうだ。
グラント「だからね、きみ、少しは敬意を払ってほしいね。」
映画(*2 0:07:32)
少年「全然 怖くないや。デカい七面鳥みたい」
グラント「七面鳥? 君が白亜紀に生きてたとしよう。ある日 あのデカい七面鳥に出会う。歩き方も七面鳥に似てる。君は じっと動かない。恐竜の目は動くものだけをとらえると思ってる。だがラプトルは違う。君が見つめると相手も君を見つめる。次の瞬間 君は襲われる。正面からでなく、横にひそむ2頭が襲いかかる。ヴェロキラプトルは群れで獲物を襲う。逃げ場を失った君を、(鉤爪を出す)これで料理する。15センチある鉤状の爪で君を切り裂く。ライオンはまず獲物の首を噛むが、そんな事もせずに ザッ! ザッ!(腹と太腿に爪をあてる)裂かれた腹からは内蔵が飛び出す。つまり君は生きた状態のまま、食われてゆく。いいな、恐竜を甘く見るなよ。」
少年「(怯えて)分かった」
小説(*3 p.116)
「あまり恐ろしげではないですね」学生のひとりがいった。
「それはそうさ」とグラント。「すくなくとも、成長するまではそうだ」(略)
だが、生体のヴェロキラプトルとなると話はちがう。じっさいのところ、ヴェロキラプトルはかつて出現したもっとも兇猛な恐竜だった。比較的小型ではあるがーー体重約八〇キロで、大きさはヒョウほどだーーすばやい動きと高い知能を持ち、獰猛で、鋭い牙や強力な鉤爪の生えた前肢だけでなく、一本だけ突出した第二足指の巨大な鉤爪でも獲物を襲うことができた。
そしてこの恐竜は、群れをなして狩りをした。その狩りのようすはさぞかし壮観だっただろう。一〇頭以上ものヴェロキラプトルが全速力で走りまわりながら、自分たちよりもずっと巨大な恐竜の背中にとびつき、首を切り裂き、肋や腹をえぐり……
このシーンを比較していて、語りの変容も興味深いのですが、エリーのツッコミが変化して可笑しいので、こちらも比較してみます。
エリーのツッコミ
シナリオ(*1)
エリー「あのね、もし本気であの子を怖がらせたかったのなら、拳銃でも突きつけてやればよかったのよ。」
映画(*2)
エリー「アラン、小さな子供をおどかすなんて」
小説(*3)
「もう時間がないわ」エリーのことばで、グラントはわれに返った。
同じことを言いたいがために、ここまで手法を変えるんですね。
あと一つ、とっておきのオーディオドラマ・ポイントを比較してみます。
みんなでツアーに出かける車に乗り込んだシーンです。自動で車が動き出し、カーステレオから案内が放送されます。
ツアーの声
シナリオ(*1 p.56)
声(声のみ)ようこそ、ジュラシック・パークへ。これから皆さんは、有史以前の失われた世界へと入ってゆきます。そこはー
(略)
制御室のハモンドの声がスピーカーから流れる。
ハモンド(声のみ)ところで、その声の主は、ジェームズ・アール・ジョーンズだ。うちでは、金に糸目はつけん!
映画(*2 0:41:26)
声「必要な情報は自動的にディスプレーされます。ジュラシック・パークへようこそ」
マルカム「キング・コングが出るのか?」
ハモンド「案内の声は名優のリチャード・カイリーだ。」
小説(*3 p.264)
車内にファンファーレが鳴りわたり、ダッシュボードのディスプレイに“ようこそ〈ジュラシック・パーク〉へ”の文字が現れた。つづいて、よく通る声が案内をはじめた。
「ようこそ、〈ジュラシック・パーク〉へ。あなたはいままさに、有史前の世界に足を踏みいれようとしています。地球上からとうに絶滅した~(略)」
「リチャード・カイリーだよ」エド・リージスがいった。「うちは金惜しみしないんだ」
ちなみにエド・リージスは、小説版に登場する広報室の方です。この微妙にちがうのが、面白い。
書いていて気になったのですが、案内の声も違います。何があったのでしょうか。シナリオでは「ジェームズ・アール・ジョーンズ」氏、映画と原作は「リチャード・カイリー」です。
ハリウッドでシナリオを書くのは、とても大変ということでしょうか。
参考文献リスト
*1:マイケル・クライトン/デヴィッド・コープ『ジュラシック・パーク シナリオ写真集』キネマ旬報社、1993
*2:スティーブン・スピルバーグ監督『ジュラシック・パーク』(字幕版)出演サム・ニール、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラム、1993、Amazonプライムビデオ
*3:マイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』(上巻)早川書房、1993
*4:パンフレット『ジュラシック・パーク』東宝、1993年7月10日発行