ヒッチコック『サイコ』に仕掛けられた音のドラマ ~後編~
映画に声のドラマ?!
映画『サイコ』には、オーディオドラマのように声だけでドラマを展開させるシーンが複数ある。どうしてそのようなシーンがあるのか。実際に引用しながら検証していきたい。
車内でつい妄想①
一人で車を走らせるマリオン、彼氏の言葉を空想してしまう。
「マリオン何しにきたんだ? 君に会えるのはもちろん嬉しいけど」
(*2 0:13:02~)
誰もいないのに、彼氏の声が聞こえる。きっとこういうだろうな、と。
信号待ちになり、ため息。実際、彼氏には会えない。信号を渡る人を見ていると、偶然にも社長が通り過ぎる。これは現実。ヤバい、ズル休みがバレてしまう。
車内でつい妄想②
中古車屋さんで大金をはたいて車を乗り換えるマリオン。即決したため店員に怪しまれつつ、現金で支払いをすませる。警察にも疑われているので、ついてくる。
なんとか出発。買い替えたばかりの車のなか。単調な道を走らせていると、中古車屋と警察がどんな会話をしているか、妄想してしまう。
中古車屋「客にせかされたのは初めてだ。追われているのかい?」
警察官「書類を見せてくれ」
中古車屋「何かありそうかい?」
警察官「怪しいな」
中古車屋「700ドルを現金で払ったよ」
車を走らせ続ける
事務員「はい、社長」
社長「マリオンはまだかい?」
事務員「月曜はいつも遅刻するんです」
社長「来たら知らせろ」
夜道になっていく
社長「妹さんに電話してみろ」
事務員「もうしました。会社へかけてみたんです。彼女も知らないそうですわ」
社長「家へ行ってみろ、動けんのかもしれん」
事務員「すぐ妹さんが行くそうです」
さらに夜が更けていく
社長「心当たりないですな、金曜に退社したのが最後だ。具合が悪いので早退したいって。それっきり・・・待てよ、車中の彼女を見かけたぞ」
~
(*2 0:23:44)
実際の話ではなく、妄想だが、リアルだ。
中古車屋さんは警察官に、「追われているのかい?」と聞けば「書類をみせてくれ」とかえす。スマートな会話が楽しい。
面白いのは自分がいないところで、社長が事務員にまだか? と尋ねたら「月曜はいつも遅刻するんです」と速攻でバラす部分。
冒頭には、マリオンと女性事務員が二人で会話するシーンもあるが、親友というわけではなさそう。ただの同僚。どちらかというと、反りが合わないタイプ。
詮索好きな同僚は、頼まれてもいないのに妹へ電話した、とマリオンは妄想してしまう。マリオンのキャラ、女性事務員のキャラ、どちらの造形も浮き彫りになる。
物語の構造と「鳥の剥製」
フランソワ・トリュフォーはヒッチコックへのインタビューで、『サイコ』の構造に触れてこんな質問をしている。
「この映画は異常性に向かってどんどんエスカレートしていく構造になっています。まず姦通のシーンにはじまって、大金の持ち逃げ、そして殺人、ついにまた殺人があり、最後の精神異常に到達します。異常性の高みへ一段一段と上がっていく仕掛けになっている。ちがうでしょうか。」
(*1)
たしかに、最初は社長にズル休みがバレる程度の嘘だった。それが死体を隠すところまでエスカレートしていく。
ヒッチコックの答えは、納得しつつも少し違う、という。姦通させたのは、ごくありきたりな中流娘を描きたかったから。それより、「鳥の剥製」に力が入っているというのだ。
ヒッチコックはいう、ノーマンが剥製に興味を持っているのは間違いない。とくに「ふくろうの剥製」がポイントだったと語る。
ふくろうの剥製、お解りになるだろうか。ヒントは、ノーマンの母親が声を出すシーンにある。
母親と息子
マリオンはモーテルに到着、自分の部屋で荷解き。大金をどこに隠すか、ウロウロしていると、
母親「見も知らない女を連れてくるなんて、私が許しません! どうせロウソクでも立てて、下品な色情を刺激するんでしょ」
ノーマン「違うよ、お母さん!」
マリオンがみた窓の外にはカリフォルニア・ゴシックの建物
母親「食事のあとは音楽? 内緒話?」
ノーマン「そんな相手じゃない、食事だけだよ!」
母親「そんな相手じゃない? 下心は分かってるわよ。そんな話はもうしたくない。考えただけでムカつくわ。下品な女は連れ込めませんと言ってらっしゃい! 代わりに私が言いましょうか、言う度胸があなたにある?」
ノーマン「うるさい!」
建物からノーマンが食事を持って降りてくる
(*2 0:32:23)
カリフォルニア・ゴシックの自宅が小さな丘の上に建てられ、威圧感がある。恐ろしげな母親の声。
モーテルを経営している息子に、「見も知らない女を連れてくるなんて、私が許しません!」なんて、笑ってしまう。大声で怒鳴っているし「どうせロウソクでも立てて、下品な色情を刺激するんでしょ」とまでいう。
台詞の音声だけで母親の造形が一気に出来上がるからすごい。過保護に見守っている威圧的な雰囲気がでてくる。で、鳥の剥製、特に「ふくろうの剥製」だ。
監視される興奮
「ふくろうというのは夜行性の鳥だ。(略)彼は夜の世界の鳥たちをよく知っており、鳥たちがいつも、まばたくもせずに、彼を監視していることを知っている。彼を監視している鳥たちの目に彼自身の罪がすべて映っていることを知っている。」(*1)
本作は、覗き見の興奮を描いているようだが、じつは監視される興奮も表現されている。
音だけのドラマは、楽しいアドベンチャーもよいが、覗き見するようなホラーチックな味わいがピッタリなのだ。
なぜなら、
「映画をみる観客の気持ちとはそういうものだ。たとえ相手が泥棒でも、部屋のなかでひきだしをまさぐっている最中に、だれかが帰ってくる気配がすると、つい泥棒の側に観客の気持ちがいってしまう(略)」(*1)
人間って面白いですね。
【参考資料】
*1:フランソワ・トリュフォー『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社、1981
*2:『サイコ』 監督アルフレッド・ヒッチコック、出演アンソニー・パーキンス, ジャネット・リー, ヴェラ・マイルズ、1960、Amazonプライムビデオ