G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

清水邦夫に学ぶ自伝ドラマの作り方『海へ…』

 ヘミングウェイって、どんな印象がありますか? アメリカのノーベル文学賞作家で、猟銃を持って日に焼け、ひげを生やしているおじさん。そんなイメージですか?

 10月のEテレ「100分de名著」で取り上げられたヘミングウェイの「老人と海」。そのスピンオフといってもいい、清水邦夫氏の名ラジオドラマがあるんです。今年4月に亡くなれた清水氏を偲んで、20年ほど前の作品ですが、取り上げてみたいと思います。

f:id:irie-gen:20211102062653j:plain

あらすじ

 病院の警備員は見回り中にある部屋が気になっていた。あのアーネスト・ヘミングウェイが入院している病室だ。覗いてみれば、厚化粧をして、ボートにのっている?!

 ノーベル文学賞作家になったヘミングウェイだが、うつ病を患い、自殺未遂を引き起こし、入院している。医師からは、メンタルリハビリテーションを勧められるが、自分であみ出した方法でやりたいというヘミングウェイ。その方法は死んだママを復活させることだった。

 ママはヘミングウェイ出生の秘密をうちあける。夫のクレランスなんて関係ない、わたしは神と交わってあなたを身ごもった、と。

 強烈な個性を放つママ、パパの趣味で集めたものをすべて燃やしたり、幼いヘミングウェイに女装させて撮影したり、作品に嫌味をいったり。

 ヘミングウェイはママのガッツや闘争心を頼りに、名作「老人と海」を自演することで、前へ進もうとする。(*2)

 

…という不思議な物語。このオーディオドラマを客観的に聞けば、マザコン男の話なのですが、ハードボイルドに聞こえるから不思議です。

~作品のなかに出てくる人物の特徴は、自己の苦痛や情念にたいして、しいて他人事のような無関心をよそおうことでもあります。『老人と海』のサンチャゴにも、その特徴は歴然としております。ハードボイルド・リアリズムという技法もそこから生まれたといえましょう。(*1)

自伝作品はこうあるべし

 本作を聞いた人は、ヘミングウェイの印象を変えてしまうでしょう。ドラマのなかで何度も「ママー!!」と叫ぶヘミングウェイ。ですが、マザコン男になってしまっただけではありません。

ヘミングウェイの作品を読むものは、その虚無的な否定と冷酷な突放しとにもかかわらず、むしろその反対の旺盛な現実肯定ないしは現実謳歌を感じとるにちがいない(*1)

 上記は「老人と海」の解説ですが、これと同じことが清水邦夫氏の脚本でもおきているように感じます。

 おそらく清水氏は、ヘミングウェイの自伝的な作品を研究され、その隙間をさがし、空想で埋めるだけでなく、さらに創作を加えたのでしょう。

 自伝の空白部分からマザコン男を引き出しただけでなく、ヘミングウェイの人生に深みを与えているんです。その空白の見つけ方が素晴らしい。

現実とストーリー

 本当のヘミングウェイの人生はどうだったんでしょう。

「戦後派」としてのかれは、甘い社会主義ヒューマニズムを軽々しく受け入れたがらず、前も悪もない、要するに人生は強いもの勝ち、負けることが最大の悪徳だ、といっているようであります。(*1)

 ノーベル文学賞は重かったでしょう。それでも、なんとしてでも復活するんだという情熱。このリハビリをして作家として出直そうと必死だったはずです。

 ですが、残念ながらヘミングウェイは自殺してしまいます。自伝の空白を埋めた物語は、もがくヘミングウェイが描かれているんです。ヘミングウェイが誰にも見られたくなったはずの素の側面、それは一番聞きたい話なのかもしれません。



【参考資料】

*1:ヘミングウェイ福田恆存 訳『老人と海新潮文庫、平成2

*2:1999年3月6日放送、NHK-FM「FMシアター」『海へ…』演出:平位敦 制作統括:松本順 技術:糸林薫 音響効果:山本浩 音楽:竹田賢一 出演:北村和夫ヘミングウェイ)/倉野章子(ヘミングウェイの母)/粟津號、尾美としのり(病院の看護人)、自前の録音データより