G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

落語「子ほめ」×「牛ほめ」=「課長の犬」だから必笑?!

 ダイソーにかつて落語のCDが置かれていた!? ご存知だろうか、「ザCD」というシリーズがあったことを。もう一度言おう、「ザCD」と。

 20年ほど前になるだろうか、売り場には結構な数があった。なぜかわからないが、かつての私は『日本の芸能シリーズ 落語の楽しみ④』を買っていた。
 久しぶりに聞くと、もう大笑い。「1.課長の犬/春風亭柳昇〈14:08〉」とある。いつどこでやった録音かの記載はない。驚くべきことに製造年も書かれていない。
 いやそんなはずない、何か数字があるだろうと探す。「発注CD‐G‐No.9 ザCD」とあるだけだ。いやまじで。


あらすじ
 気を取り直して、今から褒めます。CDを久しぶりに聞いて、とにかく笑った。
 「課長の犬」ストーリーは単純で、職場で課長の頭をひっぱたいてしまった部下の男。人違いをしてしまったという。何とか挽回したくて同僚に相談する。最近課長に子どもが生まれたから行って褒めてこい、とアドバイスされた。褒める言葉を知らないというと、方法まで教えてくれる。
 課長の家につきトンチンカンな挨拶を済ませる。だが、生まれた子は犬の仔らしい。とにかく家をほめ、犬を褒める。だが、覚えてきたのは人間の赤ちゃんを褒める方法だ。犬と赤ちゃんがごっちゃになってしまう。(*1)


完璧な「オウム返し」は無双
 お笑いの構文に「オウム返し」というものがあるらしい。ネットで調べた情報を私なりに噛み砕くと、「オウム返し」とは「時そば」や「子ほめ」「牛ほめ」のように、教えてもらったことを実践したらズレちゃう話のこと(だと思う)。

 つまり、前半の稽古シーンに伏線をしのばせ、後半の本番シーンで回収するパターンだ。漫才やコント、吉本新喜劇でもよくみかける。面白い構文なのだろう。

 中途半端に真似をして失敗する可笑しさは、何故か笑いをさそう。おそらく、前半で正解を踏まえているからだろうか。

 もしかすると、「珍回答」も実は似た構図なのかもしれない。こちらとしては答えがわかっている問題だからこそ笑える。もしも、難関大学の受験問題であれば、珍回答をしていても、笑えるのは教授くらいなものだろう。

 わかっている当たり前のことを、ズラすから可笑しいのではなかろうか。「課長の犬」は、そのズレが赤ん坊を褒める言葉を犬に使うところにある。この絶妙なさじ加減がオリジナルの笑いにつながっているのかもしれない。


「子ほめ」との違い
 「子ほめ」は名作落語の一つだ。米朝師匠によると、「むつかしい(ママ)話ではない」ようで、初歩段階の軽い落語に分類されるらしい(*2)。何度聞いても、知ってる話なのに笑ってしまう。

 観客としても、シンプルなのに面白い話だ。もちろん古典的な名作だけあって、技もみせてもらえる。

 師匠も「途中で番頭さんに会ってのやりとりのあたりなんか、実に皮肉でむつかしい演出」(*2)とおっしゃっている。

 例えば、ひっかけてやろうと番頭さんに話しかけると「よう、どないや町内の色男」と言われてしまう。教えてくれた人よりもうまく、何よりセリフがナチュラルだ。
聞いているときに難解さはわからない。あくまでもリアルなセリフになっている。

 途中でも番頭さんの旦那を褒めようとするのだが、スラスラと返されてしまう。
「幸せなお人やなあ、今年七十三やで。まだどっこも悪いとこない。歯ァ一本も欠けた(ママ)ないねん。まだ毎晩二合や三合のお酒飲んではるがな、ええ。新聞読むのに眼鏡が要らんちゅうねん。まあ、あんな幸せな人ないなあ」(*2)といった具合だ。

 実はここ、「課長の犬」と全然ちがう。もっと軽妙なやりとりなのだ。


柳昇師匠だからできる芸
 落語家なら「子ほめ」を演じられるかもしれない。だが、「課長の犬」はできないんじゃないだろうか。
 春風亭柳昇師匠のことをご存知ならおわかりだろう。あの飄々とした佇まい、その中にチラチラ見える芯の通った気骨。師匠が高座にあがると有名な一言からはじまる。
「わたしくは春風亭柳昇と申しまして、大きなことをいうようですが、今や春風亭柳昇といえば我が国では、…私一人でございます」

 子どもの珍回答も、子どもだから笑えるのだ。演る人を選ぶから芸なのだろう。

 かつて、春風亭柳昇という天才落語家がおられた、ということかもしれない。

 


【参考資料】
*1:ダイソー ザCD『日本の芸能シリーズ 落語の楽しみ④』「1.課長の犬/春風亭柳昇〈14:08〉」発注CD‐G‐No.9 
*2:桂米朝米朝落語全集第三巻』創元社、増補改訂版、2014