茂木草介のラジオドラマ『踏切の目』レビュー
ストーリー
かつて踏切の遮断機を動かし、交通指導をする仕事(踏切警手)があった。主人公の村木重兵衛はそのひとり。ある日、重兵衛の踏切で事故がおこる。
一人が車に跳ねられ死亡、列車と車もぶつかった。警察署は喧々囂々。踏切が降りてから車が侵入してきた? 車は動いていなかった? 勝手に動いた? 鉄道会社に責任はあるのか?
警察から責任はないといわれるが、亡くなった人のことをおもい落ち込む重兵衛。
家族は、死んだ責任が重兵衛にないとしり、関わってほしくない。定年が見えているのだ。責任を感じ、苛立つ重兵衛。鉄道会社も責任はなかったと主張するばかり。
世間には、自動式の遮断機が出てきている。機械化の足音が聞こえる。重兵衛は、上司に立体交差にしてもらうための談判にでかける。呆れられ、怒られる。
退職してからも、踏切の交通整理をさせてもらう。ある日、子どもを助けるため、電車に巻き込まれて亡くなる。
踏切警手
現在はいらっしゃいませんが、遮断機を動かす人のことだそうです。列車を走らせるなら配備しなくてはならなかったらしい。
~
踏切遮断機には手動式と電動式があるが古くは踏切係員が手動で操作していた。電動機付の踏切遮断機が登場した後もその操作は踏切係員が行っていた。踏切係員は1921年には踏切看守と呼ばれていたが、1936年に踏切警手、1961年に踏切保安掛と呼称が変わっている。~
(引用元 『踏切』「歴史」‐Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E5%88%87#%E6%AD%B4%E5%8F%B2 )
本作は、1963年の作品。なので、Wikipediaを信じるなら、「踏切保安掛」と呼ぶべきでしょうか。小さな小屋を使って仕事をしていたんだとか。
この作品が心をうつ要因の一つとして、この仕事がもうないことを知っているからかもしれません。踏切での事故があっても、重兵衛さんのように心を痛める人はいません。今なら機械のトラブルか、列車を運転していた人の責任でしょうか。
事故をどう書くか
いきなり事故から始まる物語。交通事故をなくしたい、そう思って重兵衛さん。家族や会社は、事故をなくしたいと思っているわけではありませn。第一に考えるのは自分たちの生活や会社の存続です。
重兵衛さんは、死んでしまった人の生活や仕事まで考えて苦しんでいます。過失はないとはいえ、事故を防げなかったという負い目。
ラスト、重兵衛さんは再就職できてハッピーだったはずです。いきなり立体交差にすることはできない。だから、自分ができる仕事で事故で苦しむ人を少しでも減らそうと仕事を続けます。退職金も出ているから家族に迷惑をかけるわけではありません。会社も損をしない。みんなが助かる形で再就職。
そう考えると、最後の最後に事故で死んでしまうのは別問題ではないでしょうか。もちろん、衝撃であります。
どうして再就職で終わらせず、事故死させたのでしょうか。物語としてインパクトを残そうとしたから? 確かに、ラストの事故死で現実の問題なのだと再認識できます。
ですが、Wikipediaを読んでいると気になることが…
~日本で自動化された踏切遮断機が登場するのは1958年(昭和33年)になってからである。踏切係員が寝過ごす等で開閉器を下すことができず、死傷事故が発生することはしばしば発生しており、自動化は急速に進められた。
(引用元 踏切‐Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E5%88%87#%E6%AD%B4%E5%8F%B2 )
この作品が放送された1963年は、こうした事故の多発、原因が周知の事実だったのかもしれません。その上での物語、だとすると、また違って見えてきます。
交通事故を描く
現代に置き換えると、自動車事故ということでしょうか。それも少し未来の話にして、自動運転車の事故。完璧なシステムが監視していたはずなのに事故を起こしてしまう。誰が責任をとるのか、というドラマ。
主人公は自動車開発のエンジニア。絶対に事故を起こさない全自動の車なのに、ある日子どもを跳ねてしまう。
自分にも子どもがいて、責任を感じてしまう。だが、会社は絶対に認めない。妻からは離婚を切り出される、、、なんて。
中西 そんなアホな、夜中の十一時すぎに、そんな子供が踏切渡りますかいな
重兵衛 そやけど、渡ったらどないするねン
中西 そらな、物ごとには何十万分の一ちゅうこともないとは言えまへんで。そやけど、そらもうしようがないワ
重兵衛 なにがしようがないねン。何がしようがないねンな
中西 ケッタイな人やな
重兵衛 何がケッタイやねン
引用 *茂木草介「踏切の目」『現代日本ラジオドラマ集成』沖積舎 p500、1989