G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

黒澤明監督「影武者」の構造をふわっと読み解く

 

※参考文献は文末

あらすじ

 ぶつくさという雑兵たち。
「直ぐにも落ちる城方と和議を結び、何故戻るのじゃ」
「なにやら、訳がありそうだ」
 割り切れない撤退をさせられているらしい。
「それにつき、妙な噂が流れているぞ。お屋形様が敵の弾に射たれたそうな……」
「やいやい、ねぼけ眼を開いてしかと見ろ、お屋形様はあれに御座るわ」
 武田信玄に見えたその人物、実は信玄の格好をした弟。信玄は鉄砲に射たれ重傷を負っていたのだ!

 信玄が狙撃された?! 曖昧な知らせが信長や家康のもとにとどく。真偽の程を確認するため、密偵を放つ。
 重傷の信玄は、一人息子と重臣を前に遺言を与えていた。
「我もし死すとも三年は喪を秘し、領国の備えを堅め、ゆめゆめ動くな。これに叛き、妄りに兵を動かす時は、わが武田家の亡ぶ時ぞ。一同、よく聞け、この事、わが遺言と心得よ」
 そう言い遺し、信玄はこの世を去った。

 武田に仕える者であれば、信玄の弟が影武者を務めることは周知の事実であった。だが、信玄はもういない。どう乗り越えるのか。
 敵を欺くにはまず味方から作戦を決行してはどうか。つまり、もう一人影武者を用意しようというのだ。
 かねてから用意していた瓜二つの男。これで、体裁が整う。だがその男は無頼の盗人であった。口のきき方も知らない、馬も心もとない、総大将の柄ではないのだ。諦めかけていたその時、盗人であるその男は影武者にしてくれとしがみついてくる。信玄の遺骸を諏訪湖に密葬する光景を目撃し感激したらしい。
「俺を使ってくれ。俺はただ、あの方のお役に立ちたいんだ!」

 影武者の活躍もあり、戦場は難なく乗り越えた。だが、屋形に戻ってからが大変だ。まず信玄には孫がいる。側室もいる。あわやバレそうになりながら、切り抜けていく。だが、長男の勝頼は知っている。手をつき、頭を垂れている相手が誰か。自分の息子が「おじじおじじ」と慕って呼ぶのは影であり盗人であると。
 そこへ家康が様子見に軍勢を差し向けてくる。
「出方を見れば、そのうしろに信玄のある無しがわかる」
 家康の陽動作戦である。勝頼は引っかかってしまう。
 武田に味方する者たちが一堂に会する評定の席、「三方ヶ原の敗戦にも懲りず、家康め、猪口才な真似を致す。勝頼、討って出て蹴散らしてみせまする!」宣言してしまったのだ。
 打ち合わせでは、こんなことをいう予定はない。挑発に乗らないということで決まるはずだった。影武者はとっさに機転を利かせ「動くな……山は動かぬぞ」と言明してしまう。
 評定のピンチは乗り越えたものの、満座の中で勝頼に恥をかかせてしまったことになる。
 功をあせった勝頼は独断で兵を動かす。だが、単独で立ち向かえるものではない。やむを得ず武田の全軍が動くことになる。この戦いぶりをみて、信玄は存命かさらにわからなくなる。

 三年が過ぎようとしていた。影武者と孫はすっかり仲良し。孫に頼まれた乗馬で、ふとした怪我を負ってしまい、側室にあっけなく影武者であることがバレてしまう。
「刀傷がありませぬ、あの川中島の合戦で謙信殿に斬りつけられた刀傷が……」
 屋敷の主を演じていた男は、ただの男にもどる日がきた。「ひとめだけ」信玄の孫に会いたいと願うのだが、早々に追い出されてしまう。
 そして、あの「長篠の戦い」になる。(*1,2)

美しいレイヤード

 この映画をみて、オシャレな人はレイヤードのセンスがいい、と納得しました。レイヤードつまりは、重ね着ってことなんですけど。物語も似てるなって、チラッと見える部分に感動しますもん(しないっすか)。
 「影武者」はそれが見事で、大部分はジョージ・ルーカスが指摘する通り「合戦シーンは私がかつて見たこともない程、エキサイティングだ」と思うんです(*1)。
 でも、それは表面なんです。ちらりと見えてくるのは、それを演じるのは影武者だ、という部分です。武田信玄がいると信じ、盾となって命を落とす若者たち。影武者であり、本来は盗人の爺さんは、山のように座ってなくてはならない。そこっす。日本的といいますか、格調高く美しいんですよね。

 さらにもう一層あるんです。観ている側は映画の世界に没入してますけど、ラスト近くになると別のことを連想します。夕日が沈んでいるんでしょうか、絵に描いたような不自然な風景。これまでのリアリティとは別次元の絵が急に入ってくるんです。「えっ?」って声がでます。
 そこで思い出すのが、武田信玄を演じてるのって仲代達矢さんなんだよね、ってことです。そうか仲代さんは、武田信玄と影武者の二人を演じているんだな、と。ここで、実は、「俳優・仲代達矢」を意識してしまうんです。俳優さんのお仕事って影武者と似て? って。

 監督にそんな意図はないかもしれませんが、影武者が武田信玄になるにつれ、仲代達矢を意識してしまい、「演じるってなんだろう」人がそこにいるって何だろう。人を作るのは、役割? と広がっていきます。

 だって「長篠の戦い」の結末は知ってるじゃないですか。だから、物語としては「長篠の戦い」の前で終わってるんですよね。
 もちろん、仲代達矢さんは名演技なんです。でも、だからこそ「仲代達矢」を意識してしまうんです。
 そして、オシャレな人はレイヤードが美しいな、なんて感じるわけなんです。

 

参考文献
*1:パンフレット「影武者」黒澤プロダクション東宝映画、昭和55年
*2:黒澤明監督『影武者』[東宝DVD名作セレクション]2015年発売、1980年