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体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

インディの帽子の謎『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』より

 インディ・ジョーンズが被っている帽子は、盗掘団のボスから贈られたもの!? どうして悪党からの貰い物を大事にしているの??
 映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』で描かれた親子関係にスポットを当てて考察します。

 ルーカスは「この3作目は、前2作同様にアクション映画だが、同時にキャラクターに焦点を当てている。我々は、インディについて、より多くのことを知ることになる。インディは父を尊敬し強く影響も受けているが、根っからの冒険者であり、一方、父親ヘンリー・ジョーンズ博士は学者なので、息子の冒険心を決して評価しようとはしない。」(*2 プロダクション・ノートより)と語っています。ここに帽子の謎を解くヒントがある?! まずは、映画がどんな物語かご紹介します。

(参考に使った資料の詳細は文末をご覧ください)

 

あらすじ
 1912年、砂漠にある岩山と洞窟。ボーイスカウトの少年(インディ・ジョーンズ)は、盗掘している男たちから金の十字架を奪う。保安官に届けたインディだったが、悪の一味に丸め込まれており、獲られてしまう。悪党のボスから勇気を称え、カウボーイハットを贈られる。
 1938年、ついに十字架を取り戻したインディ。大学で人気の考古学者になっていた。そんな彼に考古学博物館のスポンサーで富豪の男から聖杯の話をされる。そして行方不明になった責任者を探し出してほしいとの依頼をうける。責任者とは、インディの父親であった。
 父の友人と手がかりを探して実家へ。荒らされた父の部屋。インディは自分の研究室に送られた小包をポケットから出す。父の聖杯手帳だった。これを探していたのだ。
 消息を絶ったベニスの図書館へ。美人のシュナイダー博士に案内してもらう。図書館はかつて教会であり、地下墓所もあった。そこには聖杯のヒントが隠されている。だが、聖杯を守る謎の集団に襲われてしまう。インディは聖杯ではなく父を探していることを告げると、行方を教えてくれる。ナチスに囚われているらしい。
 父を助けだそうと潜入するが逆にナチスに捕らえられ、聖杯日誌まで獲られてしまう。シュナイダー博士が裏切ったのだ。なんとか脱出したインディ親子。父はインディが逃走に利用しているバイクをとめさせ、ナチスの本拠地ベルリンへいけという。聖杯日誌を奪い返す必要があるのだ。
 なんとか奪い返し、検閲の厳しい飛行船に乗り込む。親子水入らずで語ろうとするが、すぐに喧嘩、仕事の話になってしまう。戦闘機が追いかけてくる。親子は協力して困難を乗り越える。
 インディ親子の友人がナチスに攫われ、地図を奪われてしまう。ナチスは兵隊を増員して聖杯に迫ろうとしていた。徒手空拳で戦車に立ち向かうインディ。ついに聖杯が隠された神殿へ。
 物陰から覗き込むと、ナチスがすでに到着していた。だが神殿に入ろうとする兵隊たちは、仕掛けにかかり首を切り落とされる。神殿にはトラップが仕掛けられているらしい。見つかってしまったインディたち。突然、父が撃たれる。奇跡でも起こらないと助からない重症。必死のおもいで聖杯の水を汲みにいくインディ。
 インディは三つの試練を乗り越え、なんとか辿り着く。ずらりと並んだ杯の数々。後からきて間違った杯を飲んだナチスのボスは死んでしまう。インディは正しい聖杯を選択し、父は奇跡的に助かる。
 だが、聖杯を持ち出したシュナイダー博士のために神殿は崩れてしまう。インディたちは聖杯を拾うこともできず、脱出するのだった。(*1)

 

盗賊から貰った帽子を被っているのはなぜ?
 インディのスタイルから帽子を欠かすことはできません。この映画では、その帽子がプレゼントされた経緯が描かれています。金の十字架を博物館に飾ることなく盗むような連中のボスから度胸を認められ、贈られたのです。心情的に、そんなのいらねえよってなりませんか? 悪党からの贈り物です。どうしてインディは後生大事にかぶりつづけるのでしょうか。

 製作総指揮フランク・マーシャルは「ヘンリー(父)は学者で、生真面目な考古学者、インディの事を少々ごろつきと考えている。息子がたとえ、発見した美術品を博物館に寄贈しても、そう思っている。インディは一生、父親を喜ばす事はできにあと感じているし、それに彼には、自分の信条がある。」(*2 プロダクション・ノートより)と語っています。

 自分の信条とは、考古学者でありつつ冒険心を持ち続ける、ということでしょうか。その象徴としての帽子、なのでしょうか。

 

スピルバーグとルーカス
 本作は、スピルバーグが監督を、ルーカスが製作総指揮をとった大傑作です。この二人がヒットさせた作品に共通する領域。いくつかあるとは思いますが、父と子の関係をスパイスに用いた点は見逃せません。スピルバーグの「E・T」や、ルーカスの「スター・ウォーズ」はその好例ではないでしょうか。
 もちろん、親子の距離感にズレはあります。ですが、本作では見事に共通領域が描かれているんです。
 で、帽子の謎です。インディと父のヘンリー、二人の葛藤、ズレ。そこがポイントなのではないでしょうか。飛行船での親子二人の会話を抜き出してみます。

飛行船のラウンジ
インディ「あなたと一緒に最後に飲んだ物を?」
ヘンリー日誌から目を離さない
インディ「ミルクです」
ヘンリー「何を話した?」
インディ「話など、したこともない」
ヘンリー「それは非難かね?」
インディ「後悔です。父1人 子1人なのに断絶の親子。普通の父親を持った子がうらやましかった」
ヘンリー「私はいい父親だった。『食事を残すな』『耳を洗え』『宿題をしろ』私はお前の自由を尊重し自立心を植えつけた」
インディ「父さんには僕よりも500年前に死んだ人間のほうが重要だった。それで20年間ろくに会いもしなかった」
ヘンリー「話し相手になる頃、家を出ていった」
インディ「(苦笑い)そうか、分かったよ」
ヘンリー「(正面から息子の顔を見て)何でも話すがいい」
口ごもるインディ
インディ「何もありません」
ヘンリー「じゃなぜ文句を?」(*1)

 ハリソン・フォードはいう。「彼等は、決して和解できない男たちさ。この映画で、観客は、インディのパーソナリティのもうひとつの面を見る。彼は、父親の前では、全く違う態度をするんだ。彼のことをインディ・ジュニアなんて呼ぶ奴が、父親の他に誰がいようか? それが、インディにはたまらなく嫌なのさ。」(*2 プロダクション・ノートより)

 みてきたように、二人の関係にはズレがありました。そのメタファーとしての帽子なのかもしれませんね。
 そもそも、聖杯は親子関係のメタファーなのでしょう(違います?)。最後の最後、聖杯を拾おうとするインディに、語りかけるシーン。あの震えるセリフで締めさせてください。
「Indiana.Let it go」(「インディアナ、ほっておけ」)」(*1)

 


【参考資料】
*1:スティーブン・スピルバーグ監督「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」出演ハリソン・ フォード, ショーン・コネリー, デンホルム・エリオット、1989、アマゾンプライムビデオ
*2:パンフレット「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦東宝出版事業室、1989