G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

映画『フロッグ』をロジカルに分解する〈後編〉

 面白い映画であることよりも何よりも、シナリオがロジックで構成されてます。このロジックを分解すれば、人間の感情を見える化できてしまう、のではないか、と。
 ただ、間違いなく、ネタバレなしで観たほうが面白い映画です。映画を分析させてもらうためネタバレめっちゃしてます。ご注意を。


後半のあらすじ
 前半で起こった摩訶不思議な現象を別の角度からみる後半。フリの回収を詳しく見ていきます。
 美しい映像であった前半に対し、手ブレのカメラ。そこには家に侵入して数日過ごす「フロッキング」をしている若者二人の姿。フロッキングは女の子が先輩で、男の子は初めて。
 静かにしているのが退屈になった男の子。一人で真夜中の散歩へ。ソファで眠るこの家の父を撮影。階段の写真が一枚ない。スマホにテレビのリモコンになるアプリをインストール。いたずらする。人物の説明と状況の説明がスマートに行われるんですね。
 屋根裏では、ふたりが静かに時間を潰している。スマホで誘拐のニュースを聞き、深刻になる女の子。ゲームをしながらふざけて、ヨッシーのペッツを食べる男の子。口うるさい女の子に睡眠薬入りの水をのませる。
 男の子はまた散歩にでかけ、父親をクローゼットに閉じ込める。階段を妻が上がってくる。逃げ切れず、息子のベッドの下へ隠れる。ゲストルームで眠る父の布団をずらしてオシッコをかける。
 暴走する男の子。女の子に辞めるように頼まれる。「本当にごめん。でも楽しいんだ」
 男の子の暴走で展開してゆく物語は目が離せません。ただし、物語としては何も進んでいません。1幕目と同じようにスロースタートです。ネタバラシをしていく場面ですが、何かエネルギーを貯めているようでもあります。
 この家を離れる判断をした女の子。地下室に隠した荷物を取りにいこうとして、殺人を目撃してしまう。なんと後頭部を殴ったのは父だった。
 階段に飾られた写真を盗み、ハサミで切っていく男の子。「俺の邪魔はさせない!」女の子と揉み合ううちに彼女を階段から落としてしまう。思わぬ事故発生、車に運び病院に連れていこうとする男の子。
 やっと物語が盛り上がっていきます。もう構造を気にする余裕もありません。
 父は犯人を捕まえると妻に言っておきながら、車ででかけてしまう。それは女の子が乗った例の車だった。車中、意識を取り戻した女の子。逃走の道具は無いものかと物色。誘拐犯と関連性のあるナイフなどをみつけてしまう。
 山中で降りると、こっそり通報するのだが、電波状況が悪い。かすかに明るいバンをみつける。捕まっている子どもたちが中にいるらしい。逃がそうとするのだが、後ろに父がいてビニール袋を顔に被せられ気を失う。ここで若干イライラするかもしれません。いやいや、あのバンがヤバイのはわかるだろって。電波が届いたところで動かず、まずは警察に通報しとけって。
 警察署には目撃情報が寄せられており、担当者である父を相棒のスピッツ警部が探している。話題を変えてボロを隠そうとしてます? 確かに初見では気にならなかったっす。
 父が帰宅、発砲したようにみせかけ、女の子を射殺。ピストルを手に家探しを始める。撃たれた女の子を見つける男の子。家中にレコードの音が流れる。ついに対決。対決が終わったころに、スピッツ警部も到着。
 ここからが3幕かと思われます。
 すべてが明るみにさらけ出される。これまで一緒にいて、理解していたはずのパートナーがとんでもない事件の犯人だった。説明やセリフは無いのですが、ヨッシーのペッツが頭から離れません。エンドロールを観ながら、頭のなかで物語がつながっていきます。(*)


映画2本分?!
 短編映画2本みたのと同程度の疲労が!? 一見、キャラクターよりも、ストーリーに重きを置いた作品に見えます。ですが、やはり構造がお見事。テーマや世界観といったものからも別次元ではないでしょうか。
 しかも、エロ・グロなしで、何なら美しい風景画のようで怖い作品。観客に楽しんでもらう、驚かせる、そこに全神経を集中させた作品です。そのため、人間のドラマやテーマは一旦横に置いてます。誘拐事件のことも、さして重要視していません。
 だからこそ、逆に鑑賞者の感情をコントロールしているのではないでしょうか。

 

犯人の告白を無視?

 終盤、犯人が「おい、聞いてくれ。辛い思いをしたんだ子どもの頃に」と告白しようとすると、「そんなの興味ない」と言ってバンッ! 男の子の手にピストル。これです。この展開の速度、最高!! なのに、必要なパーツは埋めてあります。
 だからこそ、空想してしまう。つまり、空想するパーツだけを与えてくれるわけです。後半の前のパートで、だれてしまう理由もそこかもしれません。
 なんせ映画2本分だから、波がズレてしまっているんですね。だからこそ珍しい映画体験にもなります。


描いてないからこそ見えるコントロール
 初めてこの映画を鑑賞したとき、父親が誘拐犯にはみえません。前半のシーンだけをみれば、いいお父さんです。前にも述べましたが、素敵な父親を連想させるセリフが散りばめてあるんです。ソファで眠り、反抗期の息子にホットケーキくらい食ってやれとアドバイスする。さらに、息子へ説教臭くなりそうだとスッとひいて「喧嘩は勝ったのか」とだけ聞く。咎めたりしません。こんな父親いいなあと憧れるセリフを配置してあるんです。
 この説明で勝手にいい父親を空想している観客としては、不倫相手を殺した父親をみて、仕方ないんじゃね、とさえ思ってしまいます。(もちろん現実的に考えるととんでもない話なんですけど)

 不倫相手に悩んで、謝罪してくる妻を受け入れようとしている矢先、地下室に妻の不倫相手がいるんですもの。怒るでしょう。この映画が優れているのは、観ている側の感情をコントロールする場面を差し込み、キャラを空想させる誘導にある、のではないでしょうか。


テーマ?
 深読みしすぎかもしれませんが、隠されたテーマがある気もします。大人は一面的な見方だけではない。優しそうな刑事のお父さんも誘拐犯だし、心理療法のプロも浮気してしまう。危険なのは、子どもから大人になりかけの青年期。何になるか不安で押しつぶされそうになる、みたいな。
 後半の種明かしでは、人物の裏側に光があたります。人間って裏もあるよ、と。そこが面白いのではないでしょうか? 人の良さそうなおじさんが悪人ってことはありえるし、見方にもよると。
 以前放送した青春アドベンチャー「六人の嘘つきな大学生」を連想します。
 こう考えると、俯瞰のショットが多用された意味がわかります(ラジオドラマではできませんが)。事件を広い視野でみる。いくら俯瞰で見た景色が綺麗でも反対側はドス黒いかもしれない。人は何かを見ている気になっていても、本来の姿なんてかわからない、ともいえますよね。だからヨッシーはあんなことしてたのね、と。


最後に
 誘拐犯人は刑務所にいる、ということでしたが、早く出してあげて。

 

 

【参考資料】
*アダム・ランドール監督『フロッグ』出演ヘレン・ハント, ジョン・テニ-, ジュダ・ルイス2021、Prime Video(オンラインビデオをストリーミング再生)