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体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」のレビュー

まんま「予告」通りの映画である。

猿が支配する惑星に、どうしてなっちゃったのか。本作は、幕開け部分が描かれる。
サンフランシスコの製薬会社が開発中の、アルツハイマー病の新薬を猿で実験するととんでもないことになる。この設定にリアリティーがある。動物実験という暗いテーマをエンタメに昇華させた作品だ。

 

ある新書に「コンピューターと人間のちがい」を解説した部分がある。(池谷裕二『進化しすぎた脳』講談社)
池谷氏によると、コンピューターに付くキーボードやマウスを取っても、機能は変わらない。付け直すこともできる。しかし、人間の脳は違うらしい。腕を取ってしまうと、脳は変化する。つまり、生まれた持った身体に応じて、脳は自分をつくっている。イルカの脳みその方が人間よりデカいのに、宝の持ち腐れになっているのはそのせいだという。
人間は自分の脳の数パーセントしか使っていない、指が20本あっても余裕で使いこなせたろう、とまでいう。

 

  • 能力のリミッターは脳ではなく体というわけ

そう考えると、脳細胞だけを目覚めさせる映画本編には疑問がわく。チンパンジーの脳は384グラムであるのに対し、人間は1352グラムと言われている。1キロも重いから、脳を活発にしてやれば…と思うのも無理はない。しかし、能力を上げたいなら、指や腕の本数を足した方がよかったのかもしれない。

 

  • 実は、SFじゃない

猿の惑星シリーズは、SFというより社会派の側面がつよい。過去のシリーズは人種差別、核の問題、フェミニズム、平和主義(ベトナム反戦運動)、冷戦など、タイムリーで社会的な問題のメタファーとして登場し、熱烈なインパクトを与え大ヒットしてきた。
今回、動物実験がテーマになっているが、その奥には、別の問題が見え隠れする。それは、多数派で形成される民主主義の問題、ないがしろにされる少数者はどうなってしまうのか。そこが抉られているのだ。

 

  • っぽくねぇ

ただ、今回の「猿の惑星:創世記ジェネシス)」はどこを切っても、らしさがない。ほとんど世界は人間が支配しており、フランケンシュタインに登場する怪物のような猿目線で進行する。そのため、「猿の惑星」という猿に支配される驚きより、「リアルガチ」な現実の世界にみえちゃう。
観た後、すっかりチンパンジーになりきり、歩き方は緊張した運動会の行進みたいなナンバ歩きになり、勇敢なゴリラさんに涙を流す。

 

  • テーマがやべぇ

アメリカのアクション映画なら、強大なラスボスに痛めつけられ、戦いを挑む主人公は一度破れ、修行して、もう一度ラスボスに挑む、なんて構図がよくある。だがこの映画、そもそもそこまで悪い人がいない。
飼育係は悪そうだが、猿を飼育するならあれくらいは必要悪だろう。つまり、悪い奴だから叩かれたのではなく、普通の奴であっても戦った。見やすい対立ではなく、結局対立しちゃう構図の元を描いていまる。

ハリウッドだから、わかりやすくするために「ハリー・ポッター」のマルフォイくんがいい仕事をしているだけなのだ。

 

  • 体の芯から熱くさせる

猿の惑星」は現代の問題を扱い、示唆に富み、二度見ても面白い。いじりたおせる古典。
シンプルに「面白い!」とオススメすることはできない。まあ面白い、でもよく考えると、恐ろしい映画。あれそういえば、あの部分気になる、お? 面白れぇぞ! そんな父と息子を軸にした熱い映画。
人種差別のメタファーだった旧作品郡から、もっと根本的な問題、つまり、争いはなぜ起きるのか、という部分にメスを入れているんじゃないか、と思う今日このごろ。