映画「南極料理人」をオーディオドラマにするなら
オジサンたちの本気ほど清々しくアホなものはない…。映画と原作本(*)を読んだ感想です。
仕方なく行くことになった南極ドーム基地。そこはウイルスさえ生きられない南極の奥地。富士山よりも高い標高。そんな場所にオジサンだけで一年以上の同居生活。
とんでもない経験です。でも、帰国してコンビニに行けば、やっぱりただのオジサン。
面白いだけじゃなく、この物語、気持ちがスッキリします。どうして?
寒い場所の話なのに、ハワイが似合いそうな音楽、あのリズム感がクセになってしまう。映画を中心に、スッキリする理由と、音のドラマにできるのか、考察してみます。
ストーリー
豪勢な料理がところ狭しと並び、無言でむさぼり食うオジサンたち。南極で研究をする学者たちと、サポート要員の一年以上に及ぶ滞在記。
イキイキする人もいれば、鬱っぽくなってしまう人もいる。彼女にフラレてしまう人もいれば、妻が電話に出てくれない人もいる。ラーメンを食べないと元気の出ない人もいれば、不平等に怒り狂う人もいる。次第に大家族のようになっていく。
味で家族をみせる
主人公で調理担当の西村さん。日本にいるとき、育児に忙しい妻が「胃もたれしそうな唐揚げ」を作ってくれた。娘はあぐらをかきながら食事をするので「あ・ぐ・ら!」と注意をするパパ。
それをそのまま南極で見せてくれます。南極滞在の終盤、ショックなことがあり寝込んでしまう西村さん。仲間たちがなんとか料理を作ってくれます。ベチャベチャの唐揚げ。胃がもたれる唐揚げを食べて、西村さんは泣いてしまいます。味で、家族をみせてくれたのです。
年下っぽい高良健吾が食事中にあぐらをかくので「あ・ぐ・ら!」と注意するシーンもあります。温かい家族のようなものを感じます。ここに欠けているのは、女性の姿だけなんです。
ナイものを見せる
話題の中心は食べ物と女性です。食べ物はふんだんに見せてくれますが、そこは南極の奥地。女性を直接みることはできません。朝「みんなの体操」をみて興奮することになります。
さらには、恋人と電話したり、電話口の女性に求婚したり、妻や娘が出てきたり、出てくれなかったり。
食べ物だけは工程から丁寧に描かれます。すると、女性も見た気になります。どういう仕掛けかわかりませんが、オーディオドラマに近いものを感じます。
音のドラマにするとき、女性の気配を感じるのは「電話」が最高だと思います。会話のトーンを変えるなり、台詞や間で、絶妙なドラマも生まれそう!
食べ物は効果音で楽しめるのではないでしょうか。天ぷらなどの想像しやすい食べ物なら、調理から食事シーンまで、音だけでも十分楽しめるかも。
家族のカタチ
はじめは一人欠けていても知らんぷりで食事をしていた隊員たち。ちなみにメニューはおにぎりと豚汁。それが後半、ラーメンになると全員が席につくまで待とうとします(待てなかったけれど)。
ラーメンを美味しそうにみせる演出でやっているのはわかります。ですがもうひとつ、次第に家族になっていく感覚が伝わるシーンです。
服装でもそれは表現されています。当初は自分の服がしっかりありました。防寒着もしっかり上下セットでした。それがミックスされ、「西村さんそれ俺のジャージ…」というようになっていきます。この台詞も効果的です。
どうしてスッキリ?
むさい男の絵をみせて、女の子の声を聞かせることで、想像させているのかもしれません。実はプラトニックな映画なのでしょうか。
さらに、大学のサークル室にオジサンたちが居座ってしまってような空気感です。ですから、人間がそのまま見えてくるのかもしれません。
「提案したらその人が大将になって進める形の直接民主主義も、慣れてくればそれなりにいいもので、まずストレスが溜まらない。部長も課長も何もかもいないここでは、人間がナマのままさらけ出される。」(* p.153)
注意:映画と原作本は全く違う世界です。
・「映画」大家族ものとして楽しみたい方
・「書籍」クレイジーな生活を垣間見たい方