G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

大林清のラジオドラマ『竜馬を斬った男』を分析

 どうしてタイトルにネタバレを書くんでしょうか。たまにありますよね「粛清」や「新王誕生」、「砕かれし者」など(『ゲーム・オブ・スローンズ』より)。いやそりゃ、殺されるわな、王も生まれるわな、と。
 本作も竜馬を斬った男がいるわけですよね。実質三人のオッサンしかでません。声だけで三人のオッサンです。
 しかも二人で囚人を護送する話ですから、完全にバレてますよね。なのに護送中の会話は、こいつ何をしたんですかね、と引き伸ばす。いや、そりゃあ、竜馬を斬ったんでしょうよと思うわけです。どうしてこんなテクニックがあるのでしょう、まずはストーリーから考えてみます(と私も引き伸ばしてみたり)。

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(*は文末に掲載した書籍より引用させてもらいました)

ストーリー

 明治が始まったころの話。薩摩出身の二人は、ある男を護送することになった。隊長の日高と部下の関山だ。箱根から札幌まで徒歩で連れていけという?!
 護送されるのは久世弥四郎。徳川家の旗本で京都見廻組、歩兵士官として榎本軍にまで付きしたがい、五稜郭で捕縛された男。腕が立つらしい。
 送り届ける二人は百姓の小倅。道もろくに知らない。日高はなんとしても命令を守り、札幌まで送り届けようとする。だが関山はどうせ死罪の男を連れて行きたくない。
(男三人なのに、キャラクターが明確で惹き込まれます。久世はヘラヘラしているが、どうも竜馬を斬ったらしい。日高は即席の隊長としてなんとか気を張っている。関山は力持ちそうだが、早く薩摩に帰りたい。バディものが始まる予感です。)

 

 久世が眠ると、関山は隊長を起こす。ここで殺してはどうか、と。行く手間が省けるだけでなく、本隊が薩摩へ引き揚げる予定日にも間に合う。もたもたすれば、箱根に誰もいなくなってしまうかもしれない。
 かつて鳥羽街道の戦いでは相対していたらしい。お互いに敬意を払いつつも、険悪なムードになってしまう。そこへ大雨。避難しておけば良かったのが、少しでも先へ進もうと簡単な雨具で強行するものだから、下痢になってしまう。その上、道が滝になっている。樹から樹へ、沢をくだることになる。
(歩きの苦労が伝わる場面。しかも感情にすれ違いを抱えつつ、悪路を行かなくてはならない。ラジオドラマだからこそだろうが、こちらの服まで湿気ている気がしてくるから面白い)

 

 迷わないように、海沿いを歩こうということになるのだが、海が見えない。それどころか、ツキノワグマに遭遇してしまう。恐怖の関山から銃をうばい熊を仕留める久世。さらに弾丸を装填、日高にピストルから手を離すよう脅す。熊に止めの一発。銃を返す。久世は「江戸の人間の悪い洒落だわな」と(*)。
(最悪の状況が重なり、熊まででてしまう。薩摩の百姓とちがい、久世の胆力がわかるシーン。だが、武士の時代が終わったと理解している久世は銃を返す。庶民レベルでも徳川の世は終わったのだと感じるシーン)

 

 久世は日高に起こされる、関山がいないと。銃をもって逃げたらしい。殺して行かなかっただけありがたいと感謝して、放置することに。旅は久世と日高の二人になる。
 久世は札幌でどうなるのか、口の堅い日高に聞く。すると、日高は「慶応三年霜月十五日」とだけいわれる。問いただしても、「胸に聞け」と(*)。
 つまり、坂本龍馬を斬ったのは、お前かと。
(ここでようやく、タイトルに繋がります。これを聞くために旅をしたわけです。そしてやっと日高が重い口を開くわけです。久世も答えないんですよね。ここ、セリフにエッジが効いていてカッコいいっす)

 

 ついに護送の任務が完了し、引き渡す。だが、到着までに坂本龍馬を斬った犯人が判明。久世は放免される。早く帰らないと総引き揚げに間に合わない、と言い残されて。あと5日しかなく、間に合う可能性はない。
 そこで二人、百姓でもするか? となっておしまい。
(正直な話、終わり方はしっくりきてません。ですが、引き揚げに間に合わないとわかるシーンはよかった。絶望して、戦争に駆り出され暮らしをめちゃめちゃにされた庶民のやるせない気持ちがじんわり広がります)

作品について

 本作について、大林清氏は「ラジオの特殊性のみを追ったために、ドラマが面白くなった、と私は思っているからです。」(*)と書いておられます。「ラジオの特殊な試みはありません。」(*)とも。
 ラジオの特徴を捉えた作品ということでしょうか。
 敵同士が互いに打ち解けて、自分たちがやっていることを馬鹿らしいと感じ、自分なりの生き方を探る、この骨組みは感動的です。

タイトルで結論を言ってしまう効果

 で、この疑問です。ドラマで「粛清」とあれば、たいてい誰か殺されます。ですが、ドラマの冒頭で死ぬことはほぼなく、なぜ死ぬのかをみせてくれます。

 この人物がいなくなれば、大変なことになってしまう、こんな素敵な暮らしをしている人だ、だから死なせてはならない、でも殺されてしまう、ここからどうなるの? みたいな。
 つまり、スポットライトのような効果があるのではないでしょうか。
 もうひとつ。タイトルに結論があれば、視聴者はドラマよりも優位に立てます。だれが言ったか忘れて恐縮ですが、「物語とは接待である」という言葉があった気がします。この場合、特別席を用意しているようなものなのではないでしょうか。

 

引用 *大林清「竜馬を斬った男」『現代日本ラジオドラマ集成』沖積舎 、1989