ミステリー劇場「宇宙戦争」オーソン・ウェルズ プロデュース(ラジオドラマ)のレビュー
80年ほど前のハロウィン、オーソン・ウェルズはラジオドラマ『宇宙戦争』を放送して、ニューヨーク中を混乱の渦に叩きこんだ。
放送を聞いた人が、本当に火星人が侵略してきたと勘違いして、パニックになったのだ。
いたずら好きのオーソン・ウェルズは、ハロウィンにふさわしい放送劇を作ろうとしていた。H・G・ウェルズ原作のSF小説『宇宙戦争』を、ハワード・コッチの脚本でリアリティーを持たせ、リスナーを驚かせてやろうというのだ。
・どうして、だまされた?
80年ほど前の出来事とはいえ、どうして全米がパニックになったのだろうか。
伝説的な事件だけに、まずは客観的な事実をおさえたい。この放送の後、フィクションを放送する際、一定の規定をもうける法律が制定された。これは事実。さらに、警察に問い合わせの連絡が多数あったことも間違いない。
ただ、どうも「全米がだまされた」とまではいえないらしく、一部大騒ぎした人もいた、という程度らしい。とくにニュージャージー州やニューヨーク州では多くの人が不安を感じ、発砲した人もいた、らしい。(まあ、それだけでも、大問題だけれど)
だが、どうして、だまされてしまったのか。「火星人が攻めてきた!」とドキュメントタッチで言ったくらいで信じるだろうか。
・実際のラジオ放送を聞いてみると…
ざっとだが、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、100年以上前に書かれたSF小説。流れ星が落下、大きな穴があく。そこから触手をもった火星人が現れ、圧倒的な力で地球を侵略するシンプルな物語だ。
放送の冒頭、アナウンサーにより、「~H・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』を放送します」とはっきり紹介のうえ、テーマ曲までかけられる。
つぎにオーソン・ウェルズによる、詩的な物語のガイダンスがあり、「宇宙戦争」をやるのだなぁ、ともう一度遠回しにアナウンスしている。問題はそこからで、天気予報や音楽番組かと思わせる演出が始まる。
「ダンス音楽番組の途中ですが、ここでインターンコンチネンタル・ラジオ・ニュースから臨時速報をお伝えします」
(引用 『H・Gウェルズの宇宙戦争』 ユニコム〈CD+BOOK 全米ラジオドラマ傑作選 ミステリー劇場〉、ブックレット)
落ち着いたアナウンサーの声だからこそ、耳から没入してしまう。
残念ながら、「インターンコンチネンタル・ラジオ」が実在したのか不明だ。だが、最近の調査でも、アメリカ人は「テレビ」や「スマホ」より「ラジオ」を聴く人の方が多いんだとか。もちろん番組も無数に存在するため、ありそうな名前かもしれない。
・オーディオドラマとしてのリアリティー
音楽番組に「特別ニュース」が割り込んでくる、という形のラジオドラマだ。現代のオーディオドラマ好きが聞いても、登場するインタビュアーや、教授などの落ち着いた演技に引き込まれる。
火星で観測された異常と何らかの関係はないかという質問に、「まず関係はないでしょう」「偶然でしょう」などと答えている。
リスナーは、よけいに火星を意識してしまう。
オーソン・ウェルズは、実際にあった爆発事故のラジオレポートの録音を参考にしたという。
(以下の引用 『火星からの侵略 パニックの心理学的研究 』 ハドリー・キャントリル/著 東京 金剛出版)
ウィルマス 儂(わし)はラジオを聴いていた。
フィリップス マイクに近づいて、大きな声でお願いします。
ウィルマス え、何だって?
フィリップス 大きな声でお願いします、マイクに近づいてください。
なんて、突然インタビューしたら、ありそうな台詞だ。
ただよく聴くと(昔のラジオドラマなので仕方ないが)、パトカーのサイレンがぶつ切りで聞こえてくるなど、現実味はないと解る箇所もある。
・だとしても、だまされる?
放送は、全体が59分21秒。2部構造になっていて、前半のリアルな臨時ニュース部分と、後半のドラマ部分がある。ただ、大半が臨時ニュースで、ドラマは17分09秒。
大半をしめるニュースが終わってから「~マーキュリー劇場です。H・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』をラジオドラマにしてお送りしています。しばらく休憩した後、再開します。」といわれる。
こんなこと言っては悪いが、休憩のあとは、とってつけたようなドラマパーツだ。休憩前に恐怖を感じることは大いにありえる。
・火星人はナチス?
1938年、当時のアメリカは、ナチスとの緊張関係にあり、市民は戦争に巻き込まれる危惧があった。
また、トーマス・エジソンのライバルだったニコラ・テスラが殺人光線を開発したと発表。電磁波などの光線で破壊する兵器が実在すると信じられたため、火星人の武器に真実味がましたとか。
火星人の侵略をドイツ軍と勘違いした人もいたらしい。
なお、アメリカの警察は放送後、大急ぎでラジオ局を警護したんだとか。石頭の市民からラジオ放送の文化を守ったわけだ。
どこぞのトリエンナーレも、厳重に警護し、不自由に中断などさせず、続けてほしかったものである。