G-EXPERIENCE

体験した気にさせる物語ってどうなってるの?

原作小説「恩讐の彼方に」、戯曲「敵討以上」冒頭を比較

 「原作を読んでおくべき」という人間を私は信用しない。「あの映画、原作を読んでからじゃないと、絶対に面白さが伝わらないよ」なんていう人。どんな美人でも、ウソつきに見えてしまう。

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画像はイメージです

 何の話かというと「原作は最高か」問題である。物語を楽しむ全ての人たちは、この原作問題と対峙せねばなるまい。

 問題の本質は「面白ければ原作に何をしてもいいのか」という一点にのみある。
 原作本は、映画化された物語それ自体ではないが、かといって物語以外のものでもありえない。基本的に原作の全てを映像にするわけにはいかないから、どこかを削る必要がでてくる。どこを消したのか、消したら面白くなったのか。駄作になってしまったか、問題はここなのだ。

 ということで、原作とシナリオを読み比べれば、どこを変えてあるのか詳細な理解ができる、…はずだ。さらに、どちらがより面白いのかも判明する、だろう。
 どちらにもファンがいるだろうから、あくまでも私はという意見を申し上げたい。

 露出の少ないブログとはいえ、傷つく人は出したくないので、同じ作家が原作もシナリオもやっていれば問題なかろうと思う。ま、そんな言い訳はさておき、菊池寛の「恩讐の彼方に」と、舞台脚本「敵討ち以上」を比較しようというのが今月のブログだ。

 私はたまにではあるが「しつこい」といわれることがある。今さらその性格を直そうとも思わないので、ここでねつっこく前置きの続きをしようと思う。

 幼少期に、先生や親によって植えつけられなかったか?「ちゃんと、本を読まないとバカになる」と。
 人生の先輩からの圧倒的なマウント行為。最近も見かけるのは、ネット社会だからこそ逆に本を読め、なんて。
 子どもは大人より本を読んでいるというデータもある。だが、大人が読めと命じる書籍は、探偵の顔面がお尻の物語ではない。いわゆる名作というやつだ。ぷぷっとNHK紅白歌合戦にも出たくらいでは許されない。
 
 では、やっと比較をしてみたい。引用に使ったのは以下
・戯曲
石割透編『父帰る藤十郎の恋 菊池寛戯曲集』「敵討以上」岩波文庫、2016
・原作小説
菊池寛、廣津和郎『現代文学大系28』「恩讐の彼方に筑摩書房、1967

冒頭の比較
・戯曲
三郎兵衛「申すな、申すな、この期に及んで、命を助かろうなどと未練者め!」
市九郎「無実でござります。無実でござります。大それた……。お部屋様と、そのような……。大それた事を……。」
三郎兵衛「くどい!」

物語の冒頭、市九郎は主人の女に手を出したことがバレて、斬られかける。「くどい」と怒られることから、相当いいわけしたらしい。で、原作は…

・原作小説
「~彼は奮然として、攻撃に転じた。彼は『おうお』とわめきながら、~」

 これで終わり。「おうお」しか言わない。市九郎は未練を言ったりする男ではない。小説は市九郎の内面が丹念に描かれている。死にたくない、勝手に身体が動いた、と。ですが、演劇用の戯曲は、言い訳をすることになる。

 小説の方が観客に人物の内面を伝えやすいため、心情に迫りやすい。

 わたしは、原作より、いらない部分をそぎ落とした映画や芝居の方が面白いはずだと、長い前置きをしてきた。
 冒頭を比較しただけでも、原作の方が面白いということが判明。ここに謝罪をいたします。失礼いたしました。