ラジオドラマ『シュナの旅』はイマイチか?
ラジオドラマ『シュナの旅』の原案はあの宮崎駿!(『風の谷のナウシカ』から2年後の放送)ラジオドラマ史にのこる事件、なんと世界初の「サラウンド・ラジオドラマ」なのだ。
冒険にでかけ困難を乗り越え、帰ってくる話
以下、引用は
*1、宮崎駿『シュナの旅』アニメージュ文庫、1983
*2、君島久子 文 後藤仁 絵『犬になった王子』岩波書店、2013
*3、NHK FM「今日は一日ラジオドラマ三昧」『シュナの旅』2015.9月23日21時20分ごろ放送 から
シュナの旅は、ジブリ・オールスターである。谷に暮らす様子は「ナウシカ」だし、「もののけ姫」のヤックルなんて、そのままでてくる(*1)。
はっきり言って、人買いのシーンや全体像は「ゲド戦記」に似ている。火にあたっているとアドバイスをくれるのは「もののけ姫」のジコ坊だし、あたたかい水につつまれるのは「ポニョ」のイメージだ。
ただ、宮崎駿といえば飛行感や、巨大な建造物に登ったり、飛び降りたりがあるかもしれない。それらはなく、なんとも土臭い物語。チベットの匂いともちがう、中東(?)独特の空気感がある。
シナリオと声優
ラジオドラマ版のシナリオは宮崎駿ではない。宮崎は多忙のため(?)、ラジオドラマにするといいと思っている本があると差し出したのが「シュナの旅」だったらしい。
それをルパン三世(アニメシリーズの初期)のシナリオを書いていた宮田雪が担当。声は、主役のシュナを「もののけ姫」のアシタカ役でおなじみ松田洋治。語りは「宇宙戦艦ヤマト」のアニメソングでお馴染み ささきいさお。などなど、とにかく超豪華! なのに正直、…パッとしない。一体なぜか。
ラジオと原作 ここが違う?!
シュナが冒険にでようと葛藤するシーンを比較してみたい。
ラジオドラマでは、妹が出発を止めさせようとするが、長老たちは
「ときが満ちれば翼あるものは飛び立つ。人もまた同じじゃ。鷹のように舞い上がった心を誰が抑えられよう。」(*3)
とあきらめ、銃を与える。
宮崎駿の絵物語では、長老たちはシュナに
「貧しくとも、それがわれらに与えられた天命ならこの地に抱かれて埋もれるのも人の道だ」(*1)
とさとす。女達も、決意の固さをしり声をかけない。
この違いは面白い。出発のシーンは、物語の原動力となる大事な場面だ。まわりから応援されたか、止められたか。ラジオドラマでは応援され、絵物語ではさとされる。ちなみに、原作の絵本では
「王さまとおきさきさまは、おどろきました。
山の神のところへゆくには、九十九の山をこえ、九十九の川をわたらなければなりません。
ふたりは、つよくひきとめました。でも、王子はききません。
しかたがないので、矛と剣をもった、よりぬきのけらいをつけてやることにしました。」(*2)
ラジオドラマは原作絵本に近い雰囲気だが、宮崎版の絵物語は『もののけ姫』の出発シーンのように、男前になっている。
絵に力があるので、静かで強いシュナのキャラクターが際立つ。だが、音ではわかりにくい。
オーディオブックと絵物語の素晴らしいところ
砂漠に船のシーン。一晩の宿を借りようと声をかけると、ラジオドラマでは
「それはお困りでしょう、中へお入りなさい」(*3)
といわれるが、絵物語では無言ですっと指をさすだけ。
目がなれず、暗闇をあるく感じはオーディオブックにかなうものはない。暗い中で襲われてしまう。
だが、押し殺したすすり泣きの声を聞き、銃と刀を構えると、女がちぎれた腕を拾っている。その画は強烈だ。
目的の場所は?
島にたどり着く。そこは人の足であらされた形跡がないジャングル。シュナはさらに進み、果実を食べる。
「ああ それにしても
なんて豊かで
平和な世界なのだろう」(*1)
突然、開けた土地にでる。半日で銃が錆びつく時間の流れが奇妙な農場。巨人たちが育てる穀物を奪って走り去る。
なんとか奪ったのはいいものの、シュナは意識をもっていかれてしまう。
「~
シュナはすべてのものを失っていた
記憶も ことばも 名まえも
感情すらも……
火をおそれて
暗がりにうずくまり
ガツガツと
食べるだけだった」(*1)
映画でやるなら、男女二人で入っていたのではないだろうか。原作では一人無言で突き進んでいく。無言なものだから、何とかこちらから読み取る努力が必要になる。
ストーリーは行って帰ってくる王道の物語。主人公は寡黙だ。よく喋る主人公なら、ラジオドラマでもいけたはずだ。ラジオドラマのシナリオは絵本を意識したのかもしれない。
勝手に考察「面白さのわけ」
「初のサラウンド放送劇」としてラジオドラマの歴史に名前を残す大作『シュナの旅』。だが、実際は、宮崎駿の絵でみるアニメージュ文庫版の方が面白い。
声優陣に問題はない。音楽も素晴らしい。シナリオライターの才能は申し分なかった。そもそも、ラジオドラマに無口な主人公の大河ロマンは不向きなのだ。
どちらかといえば、小さな悩みも吐露してくれて、弱音を吐いて、人間の暗部をさらけ出すけど明日へ向かおうとする話の方がラジオドラマ向きなのではなかろうか。それは宮崎駿の描いたシュナではない。
2020年11月半ばにNHK FMで放送された『レディ・トラベラー1920』(青春アドベンチャー)が少し雰囲気が似ているかもしれない。こちらも冒険に行って帰ってくる話だ(失礼ながらそれほど面白くなかった)。比べるものではないと思うが、同じ青春アドベンチャーで放送された『人喰い大熊と火縄銃の少女』は超・面白かった。こちらも冒険といえば冒険だと思う。ラジオドラマでできない分野ではないのだ。
ラジオドラマでイメージしやすいものと難しいもの
リスナーは、洞窟の中の骨や、黄金に輝く穀物、絶壁を下るシーンなど、イメージできると思う。漠然としたもの、吹雪や砂漠なら、イメージはさらにたやすくできる。だが、それらは負荷が大きい。
原作は、絵で見せてくる。もちろん絵物語だから、多彩の方が楽しめる。この物語の面白さは、チベットの空気感にもある。
絵本で考えてみる。あれを朗読してもきっと面白くない。あの絵(すばらしい!)、あれがついているから面白いはずだ。
ラジオドラマは映画化するには予算がない作品をやれば面白くなるわけではない。
ジブリはごちゃっとした細部に意味がある。シナリオは実は一本調子であり、そこに飾りがいっぱいくっついているのだ。ラジオドラマではそれが難しい。ジブリ作品のオーディオドラマ化は向いていない、のかもしれない。
岡田斗司夫ゼミを拝聴して
今回、ブログの記事を書いてから岡田ゼミを拝聴した(メンバーシップ会員です)。先生は化け物だ。
ターミネーター種子の話。この世界を造った未来人の不在から、ナウシカとラピュタの間の時代と推察。石像のなぞをとき、銃を分析する。さらには海外ドラマにするべき作品という発想。コメントにあった「マッド・マックスの世界」という意見。
ゼミの前に、『シュナの旅』の本をよみ、ラジオドラマを聞き、自分なりに考えたつもりだったのに。岡田先生は、偉大すぎる。